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出逢った頃(12) 念願のMasuoさんライブin NY '82

※回想「出逢った頃」 (1)(11) の続きです。


いよいよ ブレッカーズ・ブラザーズのお店 7th Ave. South へ向かいます。

店の前はこんな感じ。(前記事でも紹介のムック「サウンド・イン・ニューヨーク」より)

Sound in NYの7th Ave. South店構え写真


ずっと心に抱いて準備してきた私の1つの計画……「遠い憧れの街ニューヨーク、しかも増尾さんが活動拠点に選んでいる街ニューヨークで、憧れの増尾さんを聴く」 という夢が、いよいよ実現しようとしているわけです。本当に この場所、この時間 で間違いないんだろうか? いや、間違いないはずなんだけど、何か半信半疑なんですよね。そのせいか、店の前とか店に入ったときに興奮がクライマックス、という感じではありませんでした。
それに、成田へ向かったときからドキドキワクワクしていて、ずっと興奮が続いてましたし、慣れないことばかりでけっこう緊張も続いていました。 時差の影響で良く寝ていなかったし、どこか頭の芯がボーッと麻痺しているような感じでした。

7th Ave. South は2階にステージがあります。ライブをしっかり観て聴きたい客は2階の席。1階は、たぶん2階から聞こえてくる音を軽く楽しみながら飲むみたいな感じのところなのでしょう。なんちゅう贅沢な……。私は1階をのぞいてみるほどの余裕はなく、すぐに店の階段を上っていきました。

その日、そこに、間違いなく増尾さんがいて、演奏してくれました。ここまでたどり着く道のりの何と長かったことよ! 生で姿を拝めるだけでもう感動です。どのタイミングでご挨拶したんだったか、そのあたりは覚えていなくてちょっと残念。

7th Ave. South で演奏された曲は、当時の最新アルバム Mellow Focus と、その前のアルバム The Song Is You And Me の中からでした。それと当時未発表だった新曲 Sonnyside Up も演奏してくれましたよ。Sonnyside Up を聴いて一発で気に入りました。曲自体もタイトルのネーミングも いいな って思ったのを覚えています。その1カ月後の1983年1月発売のアルバム『Reel Life / ソニー・ロリンズ』に、この増尾さんの曲が入っていたわけですが、私はニューヨークで一足早く生で耳にすることができたわけです。
増尾さんは、ストラトみたいなギター(たぶんGreco SE-1000T)と、セミアコっぽく見えるギター(たぶんYamaha SA-1200)を持ち替えて使用されました。T.M. Stevens 、も、ダブルネックベースと普通のベースを2本使用しました。細かいことは、ちゃんとメモらなかったので、ごめんなさい、この程度しか書けないです。まさか何十年後にそれについて公開日記を書くことになるとはね。
ただ、強く印象に残ったので覚えていることは、Bluesion の演奏に圧倒されたことです。アルバム『The Song Is You And Me 』の中ではこの Bluesion という曲、特に大好きというほどでもなかったのです。でも、クラブの生演奏ではバンド全体がもっと激しく奔放で、このままどこへ行ってしまうんだ~?!って感じ。異空間へ飛ばされました。「この曲、ほんとは こんな凄い曲だったんだっ!」 おそらくスタジオや大ホールではこれほど思いっきりの良い演奏はなかなか 滅多にできるものじゃないだろうな~~ なんて思ったものです。ほかの曲では、もちろん増尾さんの流麗でメロディックなギターも楽しませてくれましたよ。

テーブルで会計するとき、あれ?って思いました。いやに安い。ミュージックチャージが含まれてない?‥‥店員さんがいうには、増尾さんが私をゲスト扱いにしてくれたのです。え~~っ?! このライブのことを事前に教えてもらっただけでも増尾さんにご迷惑をおかけしたのにぃ。 一介のファンの身でそこまでしていただいて、もう~~~感激するやら恐縮するやら。どうやってお返しすればいいのか わからなくなってしまいます。とりあえず精一杯の気持ちをこめてお礼をいいました。

そして、店から帰ろうとする私に増尾さんは、(ニューヨークで深夜に女一人は)危ないから、と心配してわざわざ店の外まで一緒に出てくださって、7th Ave を流れるタクシーをつかまえてくださいました。徒歩でなくちゃんとタクシーで帰りなさいよ、という保護者的なお心遣いもあったと思っています(万一私が事件に巻き込まれたら増尾さんとしても困るでしょうから)。そして、タクシーのドアをエスコート役のように開けて私が乗るのを見届けてくれました。ちなみに、タクシーのドアは日本の自動開閉式と違って客が手で開閉します。車の中から増尾さんに会釈。世界のマスオさんにわざわざ見送ってまでいただいて申し訳ない。それがライブ一日目でした。

もう、何がなんだかわからない。興奮しながらも、運転手さんには慣れない英語でちゃんと行先を言ったようです。ホテルの場所をどう伝えたかまるっきり覚えていないけど、問題なくスムーズにホテルに着いたのでした。

2日目夜のセブンス・アベニュー・サウスは、T.M.スティーブンスの奥様タカ子さん(タカちゃん)がいて休憩時間に同じテーブルに腰かけてくれ、ちょっとお話しました。その日は増尾さんの奥様シャーリーさん、そのお姉さまジュディさんも見えていました。演奏内容は、1日目と2日目の違いも覚えていないです(すみません!)。曲目は同じ(ほぼ同じ?)だったと思います。大満足したことだけは間違いないです!

終わってから、記念に増尾さんと一緒に写真を撮らせてほしいとお願いしたら、増尾さんは仲間を呼び集めてくれて、6人の集合写真となりました。私の持って行ったカメラをお店のスタッフに渡してたった1回だけ、シャッターを押してもらいました。あの頃はデジカメじゃなくフィルムカメラですから、その場で撮れているか確認できません。しかもあの安いカメラ、一度ダブル露出になったこともありましたし(たぶんフィルム巻き上げ忘れ防止機能の不具合)、フィルムを東京に無事に持ち帰って現像に出すまでの間は撮れているかどうか心配でした。でも、ちゃんと撮れていました!! しかも、誰も目をつむらないでちゃんと写ってる!私には奇跡的に思えました。

1982年12月1日7th Ave. Southにて記念写真
(クリックするともうちょっと大きくなります)


以来、この写真をB5くらいのサイズに引き延ばして、額縁に入れて私の部屋にず~~~っと(笑)飾ってあります。その間2回の引っ越しを経ています。

(13) に続く web拍手 by FC2

テーマ : '70年から'80年の洋楽
ジャンル : 音楽

出逢った頃(11) 2度目のNYと7th Ave South

※回想「出逢った頃」シリーズ。続きです。(ちょっと追記&画像追加しました 8/2 )

2回目のニューヨーク旅行は、初めてのときと違ってパッケージツアーを利用せず、航空券もホテルもそれぞれ自分で手配しようと心に決めていました。

ホテルの予約は、今みたいにEメール通信できないので、航空便レターで問い合せてから予約金を国際郵便為替で送って確認をもらうという方法。こういうことは日数がかかるので、ホテルへの事前の問い合せは、まだ増尾さんからの連絡待ちで出発日が決定していないうちからすでにやり始めていました。(最初の問い合せくらいは手紙じゃなく国際電話で聞く手もあったけど、国際通話料はとにかく高かったし、たぶん英語での通話で簡潔に間違いなくやりとりできるか自信がなかったんだと思う。) また、パスポートも取り直す必要があったのですが、それも早めに取得済みでした。気の早いことにトラベラーズチェックも既に買ってありました。増尾さんから連絡をいただいて日程が決まってからはじめて準備を開始するのでは、ひょっとしたら準備期間が足りないかもしれませんからね。

あと、アメリカ大使館へ自分で出向いて観光ビザの申請。当時はまだビザが必要でした。
航空券は雑誌か何かの広告で見つけた小規模な格安店で購入しました。
こういった準備がどれもほとんど初めてのことで、ちょっと緊張しながらも楽しみながらやりました。

ちなみに、ニューヨークまでの往復航空券が22万8000円(高かった)。ホテルはシャワー付きのシングルで1泊27ドルでした。ホテル代は今の相場よりはうんと安いのですが、当時1ドル=278円だったので、円に換算すると1泊 7,524円でした。

ああ、当時こんなに円が安かったんだから、日本の工場が、メーカーが、まだ元気だったんですね~(遠い目)

そして、1982年11月29日朝、一人ワクワクしながら成田へ向かい、前回の大韓航空とは違い憧れの Pan Am (パンナム) 航空のニューヨーク直行便で日本を発ちました。普通は給油のためにアラスカ州のアンカレッジにいったん立ち寄るわけで、あの頃は直行便はそんなに多くなかったです。

29日の朝、ニューヨークのケネディ空港に到着。ちゃんと迷わず地下鉄に乗れるだろうか?なんて心配は無用だったみたいで、スムーズに地下鉄に乗ってマンハッタンに入り、ウェスト・ヴィレッジにある West 4th 駅で降りて地上へ。ワシントン・スクエアの方へ向かってちょっと歩くと、予約しておいたホテル、Earl Hotel です。フロントに女性と男性が1人ずついて、男性のほうが階段から2階の部屋へと案内してくれくれました。窓からワシントンスクエアが見えます。部屋は安いだけあって一見うす汚れた感じだけど、掃除はしてあるようでした。ちなみにこのホテル、現在は Washington Square Hotelという名に変わって室内も高級っぽくなったようで、ネットでちょっと調べてみたところ1泊少なくとも200ドル以上するみたい。シングルの料金がなくなった(つまり一人で泊まっても二人で泊まっても合計料金は同じ)せいもあるでしょうし、なによりニューヨークのホテルの相場自体がものすごく上がったからもあるでしょうけど。もう私には絶対に泊まれないホテルになってしまいました(泣) いえ、今からでもうんとリッチになれたらまた泊まれるかもしれないけれど、そこまでしてねぇ ...

ホテルに荷物を置いていったん落ち着いてから、外へ出て 翌日増尾さんが出演する予定のお店、7th Avenue South の位置を確認しに行きました。ホテルから徒歩で行けるんです。もちろんそういう位置のホテルを選んだわけですが。ほんとに近くてそれが嬉しくて ...

7th Ave. South(セブンス・アヴェニュー・サウス)というお店は、マンハッタンの 7th Ave. South という通り沿いにありました。お店の名前と通りの名前が同じなのでややこしい! オーナーはブレッカー・ブラザーズで、1977年から1987年まで営業。7th Ave. South 通りは、 マンハッタンを南北に走る7th Ave.通り(7番街通り)の南端が “ ~South”という名に変わってそのままさらに南へ伸びる部分です。

サウンド・イン・ニューヨーク表紙


1981年11月15日発行のムック 「サウンド・イン・ニューヨーク」 (スイングジャーナル別冊)に、このお店を紹介する見開き記事がありました。

7th Ave.Southの紹介記事1ページ目 7th Ave.Southの紹介記事2ページ目


SinNYの7th Ave. South住所記述


店の住所番地は、 21  7th Ave. South, New York, NY 。上の記事の手書きマップは簡略化しすぎで交差する道路との位置関係が私にはかえって分かりづらいです。Leroy street は 7th Ave. South 通り(縦線| )に対して直角( - )ではなく斜め( / )ですから。正確に確認するには、今だったら Yahoo! MapsGoogle Maps で住所  21 7th Ave S New York, NY 10014 USA を入力して検索すれば一発です。

お店はすぐに見つかって、その日の私の位置確認は完了! 

今回の記事に書いた パンナム航空も、7th Ave South も、オーナーの一人だったマイケルブレッカーも、もうこの世にないんだと思うと、時の流れを感じますね ...
あ、でも増尾さんはご健在だ! よかったよかった。 web拍手 by FC2

出逢った頃(10) New Yorkライブ追っかけ計画-再NY旅行へ向けて

※回想「出逢った頃」シリーズ。続きです。

武道館の楽屋で増尾夫妻とお話できたのが1982年4月。
その年の7月に夏のボーナスが出た頃には私の貯金もだいぶたまったので、いよいよ秋に再びニューヨークへ行こうと計画しはじめました。

2回目になるニューヨーク旅行では今度こそ、日取りを増尾さんのライブに合わせなければ、私にとって高い旅費を払う意味がありません。何月何日にニューヨークのどこで増尾さんの生演奏が聴ける、という情報を事前に日本で得る必要がありました。しかも、そのライブの直前ではなく数週間以上前に知ることができなければ、格安航空券を入手したり仕事の休みを工面したりできません。

インターネットのホームページとかEメールがなかった当時、ライブの予定を増尾さん宅に電話で聞いていいと武道館楽屋で奥様シャーリーさんからうかがったので、図々しいけれどお言葉に甘えることにしました。といっても、いきなり国際電話してうまく話せる自信がありません(初のニューヨーク旅行で電話したときは勢いで掛けることができたけど… )。電話する前に、まずは手紙で事情を書くことにしました。秋に増尾さんのライブ演奏を聴きにニューヨークへ行きたいので、スケジュールをうかがいたく、お電話させていただきますのでよろしくお願いします、といった内容。実際にはもう少し丁寧に、自分の気持ちなどもしたためたと思います。その手紙を投函した後、届くのに十二分と思われる日数をあけてから、思い切って電話を掛けました。8月半ばのことでした。

電話の向こうの増尾さんは、私からの手紙をすでにご覧になっていたようで、「あー 」とすぐにわかってくれて、用件を伝えるのは楽でした。「今はね~、ニューヨークでやる予定ないの」 「9月にやるかもわかんないから電話してあげる。」 ひぇ~、それは申し訳ない。国際通話料金を増尾さんに負担させることになってしまう。電話を受ける側の私が通話料を負担するコレクト・コールにしてもらえばいいかな?という考えが頭をよぎったけど、節約暮らしの私は、コレクト・コール料金のほうが高いことを意識してしまいました。しかも増尾さんと話している最中なので、"いえ、コレクトで…" などと逆提案する余裕もなく、そのまま通話を終えてしまいました。ま、後日に清算またはお礼という手もあるか ... 
(※参考:当時の国際自動ダイヤル通話料金をネットで調べてみました。日→米 1980年:2430円/3分、 1982年:1830円/3分 http://www.caa.go.jp/seikatsu/koukyou/com/co02.html )

それから2週間ほどして増尾さんから電話をいただきました。9月に演るかもしれなかったのが結局なくなったとのこと。そして、また新たに決まったら郵便で教えてくださる、ということになりました。

いやはや、1回電話で話すたびにドキドキものでキンチョーするので、一大イベントです。ちなみに、ずっと後になって知ったことですが、このやりとりをしていた時期(1982年8月)、増尾さんはテナーサックスのソニー・ロリンズのバンドに再び入って仕事をされていたのです。8月7日にカナダのモントリオールで収録されたコンサートの映像が後にビデオテープやレーザーディスクやDVDで発売されて、私もDVDを持っています。

それから郵便での連絡を待ちました。これがまた私には問題だったのです。その頃住んでいた安アパートは、戸別の郵便受けがなく、大家さん気付けで受け取るしかありませんでした。まず1階に住む大家さんのところに届いて、大家のおばさんがそれを2階の各部屋まで持ってきてくれます。部屋を留守にしているとドアの隙間に挟んでくれたり、下に落ちていたりします。そして、大家さんは、ときどき郵便物を数日間溜め込むきらいがありました。そりゃ大家さんだって、ときには旅行もするでしょうしね。おかげで、コンサートの割引招待券を、コンサート当日を過ぎてから受け取った、なんてこともありました(ダイレクトメールなので、大家さんは大事じゃないと思ったのかも)。

こんな調子で、もしも増尾さんからの郵便が大家さんのところで滞留したり紛失なんてしたら困る。それだけは何としても食い止めなくては… というわけで大家さんに、アメリカから何か郵便来てませんか? 近いうちに大切な手紙がくるかもしれないのでよろしく、とお願いしておきました。

しかし、なかなか便りは来ません。1カ月ほど経ってだんだん心配になってきました。どうしよう。もしも、ライブの直前に知らせが届いたら、割安航空券と休暇の手配がうまくいかないかもしれない。ここまで図々しく増尾さんに尋ねておいて、「連絡いただいたのにニューヨークに行けない」なんてことになったら、と考えると真っ青です。いやいや、そんなこと心配してもしょうがない。とにかく待つしかない。

10月に入ってもただただ日が過ぎていきます。毎日アパートへ帰るたびに、今日は来てないかな?と気にするようになりました。最悪の場合、何かの事情で航空便が届かないなどの可能性だってあります。それに、ライブの日があまりに後ろにずれこむと、旅行のための仕事休みを取りにくくなる可能性があったのです。不安に押しつぶされそうな気分に、何度もなりました。

でも、もしも問題が発生して行けなかったら、そのときはそのときじゃないか。自分にできるだけのことをして、それでもダメなら誠意を込めて事情を話せば増尾さんはおそらく気を悪くするような人じゃない。もう運を天にまかせるようなつもりで、何とか心を保っていました。

10月も終わりの頃、大家さんが「来たわよ!」と戸口まで持ってきてくれました。
海外からのカードです!! 見たことのある文字。
でも、よく見ると ニューヨークからではありません。




なんと、


スペインにいる増尾さんから!!!!!


増尾さんは10月13日からロリンズのバンドでヨーロッパツアー中で、スペインのマドリードから絵ハガキを投函してくれたのでした。明るくフレンドリーなメッセージがあって、最後のほうに「11月30日と12月1日 7th Ave South でやる事になっています。11月20日前後にSonny RollinsのバンドでBottom Lineでもやる事になっています。

なんて 心にくい 演出 ! ......感激です

私の住所を旅先まで持っていってくださったのですね。

行ける!  ニューヨークに行ける!!

準備期間が1カ月ある。格安航空券を購入するのに十分な日数があるし、旅行する時期は仕事休みをとれるギリギリの範囲内。やった!!!!!


できることなら11月20日前後のボトムラインでのロリンズと、11月30日&12月1日の7th Ave South の両方をカバーできるように滞在期間をとりたかったものの、仕事を休める日数に限りがあり、両方は無理。しかも、ボトムラインのほうは正確に20日かどうかわからないので断念し、7th Ave South のみに照準を合わせることにしました。11月29日出発して9泊11日間の旅です。 いざ、2回目のニューヨークへ! web拍手 by FC2

出逢った頃(9) 武道館でのラッキー

※回想「出逢った頃」(1)(8)の続きです。
興奮の初ニューヨーク7日間から日本の成田に戻ったのは1980年11月26日。無事に帰ると、まず、スーツケースをゴロゴロしながら銀行のATMへ立ち寄りました。私のニューヨーク旅行中に給料日(25日)があったので、振り込まれた給料をごっそり引き出すためです。そして、その足で消費者金融業者に10万円を返しにいきました。出発前日に借りたお金を、規定の最短期間である10日以内に無事に返すことができたので、利子は最低限で済んでひと安心。窓口でお金を渡すときに、自分がニューヨーク旅行帰りで成田から来たばかりであることを話すと、店員さんはカウンターごしに私のスーツケースを見て、ちょっと珍しいタイプの客を見るかのように「へぇ~~」という反応をしていました。

旅先で使い切らずに持ち帰った残金で、安アパートの家賃も払えたし、それからほんのしばらくでタイミングよく冬のボーナスが降りて、うまく食いつなげたわけです。あと、ツアー参加費のローンも残っていました。ツアー申し込み時に支払った頭金を除いて、残額18万円を月賦払い。これは順調に支払って、6カ月で無事完済しました。

それからは次のニューヨーク旅行のための貯金です。もう一度行く気満々でした。安月給だし、思わぬ痛い臨時出費があったりもして、そう早くは貯まりませんでしたが…… 貯まったら、今度こそ、ニューヨークで増尾さんの演奏をナマで聴こう って心に決めていました。そのためには、事前に増尾さんの出演情報をキャッチしなければならない。具体的にどうすればいいという確信はなかったけど、何とかなるような気がしていました。

そうこうしているうちに、久しぶりの増尾さん来日です。1982年春。日本武道館で「テクニクス・ジャパン・ジャズ」と題して、増尾さんのバンドのほか、ハービー・ハンコックや日野皓正さんなどのバンドが出演するインベントがあったのです。東京ドームは当時まだありませんでしたから、武道館といえば屋根のあるコンサート会場としては最大だったと思います。

増尾さんに渡す花束と小さいプレゼントを持って武道館に行きました。アリーナ席が取れたので、すんなり渡せると思っていたのですが…… なんと、ステージに近寄れないようロープが張ってあるのです。客席最前列とステージの間に、車止めのチェーンのように太いロープが右端から左端まで渡してありました。ロープをまたいで越えることは物理的には簡単ですが、要するにステージへの歩み寄り禁止のサインなわけで……まぁジャズファンにはそんなもの必要ないんですけどね。しかも駆け寄り制止要員と思われるスタッフが何人も左右に立って見張っていました。ジャズファンは(少なくとも私の知っている当時のファンは)ステージに押し寄せないですよ。せいぜい最後にパラパラと歩み寄る程度でしょう。会場準備のスタッフは、ロック コンサートと混同したのでしょうか。ジャズでは聴衆がおとなしく かしこまりがち。しかもジャズには珍しい特大ホールで、ただでさえステージと観客の一体感が得にくいのに、ロープの存在はいっそうそれを難しくしている感がありました。これはちょっと興ざめで、残念でしたね。

というわけで、花束などを渡せなかったのです。

終わって観客が思い思いに席を立つ頃、私のほかにも花束を持っている人がいました。増尾さんのご両親およびもうひとりの女性の3人連れが、花束を手にゆっくり移動中。これから楽屋へ行くような様子です。ちなみにその3人は、以前の 『Good Morning』 コンサートの会場でもお見かけしていたので、私にとって見覚えがありました。そこで思い切って、ご両親ではない若いほうの女性に話してみました。「これを増尾さんに渡していただけませんか」と。私の持って来た花束などを彼女に託そうとしたのです。そしたら、

女性: 「いっしょに来ませんか?」
私 : 「あ、はい!  ありがとうございます!!」

な、何なんだ? この展開は?!! できすぎっ (嬉)

どこをどう通ったかはもう全然覚えていないけれど、通路を何度も曲がったりエレベータに乗ったり。たどり着くまでドキドキものでした。出演者が多いので控え室がいくつかに分かれていたみたいで、たしか増尾さんバンドの控え室は日野さんバンドと一緒だったように覚えています。それにしても、まさか自分が武道館の楽屋に行かせてもらえるとは思いもよりませんでした。なにしろそれまで、どのコンサートホールの楽屋にも入ったことはありませんでしたから。ましてや武道館なんて、とても入れてもらえそうにないですし。第一、楽屋がどこにあるかもわからないので「出待ち」することもまるっきり考えずに出かけたのですから。

控え室へ入 っていくと、増尾さんが奥のほうから私に目をやるとすぐに気付いてくれて、「あー、久しぶり!」と笑顔で言ってくれました。1年半ぶりです。覚えててくれた!!

増尾さんに渡すものを渡し、ちゃっかりサインをもらいました。ほかにもサインをもらっている人たち、おそらくは関係者のツテで楽屋へ入ったような人たち、が何人かいましたね。

それから奥様シャーリーさんともちょっと話しました。日本語でです。そのとき、できれば訊ねたいと思っていたことがあったのを思い出し、質問してみました。自分が次にニューヨーク旅行に行くときのために、増尾さんがニューヨークで演奏される予定を知りたいときには、どこに問い合わせたらいいのでしょう? と。
シャーリーさんはニッコリしながら 「うちに電話して」 ですって !!

あとあとになって考えてみると、その返答はもしかして、私がただのファンじゃなく関係者だと思われたからだったのかな?という気もします。そういえば私、自分が何者であるか(つまり、ただのファンだということ)を、シャーリーさんに告げていませんでした。楽屋に入れてもらえた時点で、普通のファン っぽく見えないじゃないですか!

でも、実際に一度ニューヨークで電話したことのある私。それに、どっちにしろ それしか方法がないかもしれないから、そうしてみるしかない、と覚悟を決めたわけです。

ところで、「(楽屋まで)いっしょに来ませんか?」と言ってくれた女性のことですが、増尾好秋さんの親戚だろう、ぐらいに思っていました。おそらく従姉妹あたりでは?と思っていたのです。というのは当時私は、増尾さんに弟さんがいることは知っていたものの、お姉さんが2人もいるなんて全く知らなくて、二人兄弟だと思い込んでいたのです。でも、実は四人兄弟姉妹だったのですね。今から思えば、あの女性はきっと好秋さんのお姉さんでしょう。そのお姉さんのおかげで楽屋に入ることができ、そのおかげでシャーリーさんに質問することができ…… とあとあとへつながったわけなのですが、お姉さんをその後1990年にもう一度だけお見かけしたもののお話する勇気が出ず、それっきり会えず、伝えたいことを伝えられずに終わってしまいました。
心残りです。
(→ (10)へ続く ) web拍手 by FC2

増尾さんの飼ってた猫タイホー君

7月16日、両国にある「下町食菜だいどころ」に行きました。
日本ジャズ界の重鎮 鈴木良雄さん(ベース)と増尾好秋さん(ギター)の Duoライブがその店であったのです。お二人は現在、3月10日と3月11日にDUOレコーディングした新作『Around The World』の発売記念で日本各地をツアー中。「下町食菜だいどころ」では、『Around The World』発売前だった今年の4月9日にもこのお二人のDUOライブがあって、そのときも今回も満員御礼。ライブハウスではないのですが、お店のスタッフも客席も、音楽に熱心に耳を傾ける感じで、かといって堅苦しくなくリラックスしていて、とても雰囲気がよかったです。演奏がいいのはもちろんのことですよ。だから私が何度も聴きに行くのです。

店内はこんな感じ(4月のときの写真です)。大スクリーンにステージが映し出されるので、ステージが直接見えにくい座席の人にはありがたいですね。クリックすると大きくなります。
2011/4/9鈴木良雄&増尾好秋@下町食菜だいどころ


7月16日の「下町食菜だいどころ」では、この写真とは違って増尾さんは白いTシャツ姿でした。そのTシャツには、ギターを弾いてるネコちゃんの絵が!!
ライブが終わってから、増尾さんに、Tシャツの絵のことを言ったら、
「あぁこれ。 去年の Jirokichi のときから 」 っておっしゃったので、
そういえば、ジロキチでもこのシャツだったような ...とうっすらと思い出しました。

去年(2010年)の5月26日ジロキチでの「ホームジャム」セッションのときの写真です↓クリックで拡大。

20100526Live.jpg

Tシャツの絵の部分がギターのストラップに隠れて見えにくいのですが、同日撮った何枚もの写真の中から比較的わかりやすい写真を探してみましたよ。これです↓ これ以上は拡大できません。

20100526catTshirt.jpg


どことなくユーモラスでかわいい絵ですね。

それで、増尾さんが今飼っている猫ちゃん3匹のことを思い出して、元気ですか?って聞いてみました。
長老 猫さんについては、つい先日写真を送ってくださったので(増尾さんサイトの From Masuo ページの真ん中あたりの写真. ページ一番下の写真の猫ちゃんは違う)健在のようでしたが、2年ほど前に増尾さんが助けてあげて飼い始めた2匹たちも元気にしてるかな~ って思ったのです。

「みんな元気だよ」とのお答え。おお、よかったよかった。

「そういえば、昔、増尾さんの飼っていた タイホー君、雑誌に写真が載ったのを見ただけなんですけど、かわいかったですよね? 目が大きくクリクリして。」
って 問いかけたら、増尾さん、

「うん。 かわいかったぁ」 と。

もう、それはそれは かわいかった という感じが、そのひと言に、いっぱい こめられた言い方でした。
声だけでなく、身体全体からもそういう雰囲気が うわーっと出た感じがしました。
増尾さんの心は一気に昔のタイホー君との思い出に飛んでいったようです。

タイホー君、このこの、幸せもの~~~ っていう気分になりましたよ。

下の画像は、1979年、アルバム『サンシャインアベニュー』が発売される頃の雑誌の記事からです。ちなみに『サンシャインアベニュー』は最近CDで再発されていますよ~ (Amazon で見る)。当時 ニューヨークで猫を4匹飼っていらして、記事には この写真がタイホー君だと書いてないのですが、たぶん そうなんだと思います。クリックすると拡大しますよ~ ↓

Cat Taiho and Yoshiaki Masuo


こっちの写真も同じ記事から。たぶん タイホー君 だと思っています。

Masuo's cat Taiho

「すごくでっかくて重かった。16ポンドあったんだよ。普通の猫は10ポンドくらいなんだけどね。」

たまに セントラルパークに連れて行って散歩 したそうです。バスケットに入れてタクシーに乗せていくんだそうです。
セントラルパークでの散歩は、ほかの猫もやってみたけどだめだったそうで(どんな風にダメだったか までは聞きそびれた。不安がって嫌がったのかな? はぐれちゃいそうになったとかいうのではなさそうですね? )
タイホー君だけがセントラルパークでの増尾さんとの散歩を楽しめたようです。

それはそれは、かわいかったことでしょうね。(=^・^=)

今 ペンシルバニアの増尾邸で飼われている長老ネコちゃんも、YouTube の Life Is Good 動画 ではペンシルバニアの田舎道を増尾さんと一緒に散歩していますね。あれは このブログの上のほうに飾ってある写真の猫ちゃんですよ。

増尾さんに飼われている猫ちゃんたち、いいな~ 

そういえば、私がペンシルバニアの増尾さんと音声通話連絡しているときに、バックで猫ちゃんの ニャァオ という声が聞こえたことがあります。長老猫ちゃんかな?低めの声です。外に出してくれ、と鳴いたのだそう。なごみました~ (=^・^=) web拍手 by FC2

テーマ :
ジャンル : ペット

出逢った頃(8) ミュージシャン増尾さんの人間的魅力に接して

回想 「出逢った頃」シリーズ (1)(7) の続きです。

増尾さんにしてみれば、どこの誰ともわからない人間からいきなり電話がかかってきたわけです。素性も何も知らない私に、わざわざ会ってくださって、本当に感謝感激!

「どこの誰ともわからない」といっても、私の名前だけなら、ひょっとしてぼんやりと覚えていただいてた かも しれません。ファンレターの返事をいただけたり六本木PIT INNで名前を聞かれたりしたことがあったので。でも、それから既に1年とか2年たっていました。それにまぁ、たとえ名前だけ覚えてくださっていたとしても、大差ないですね。

ホテルの部屋からエレベーターを降りたらすぐそこに憧れの増尾さんがいらっしゃるというのは、まさに夢のようでした!! 軽く挨拶しながらホテルの外へ出ました。雨が止んでいました。「(雨あがりで)気持ちいいから歩こうよ」 とフレンドリーに言ってくださって、夜の街を歩きはじめました。歩きながら、ご自身のその頃の心境などもいきなり語ってくださっていましたね。
ホテル前の通り Broadway を、51丁目目からダウンタウン方向へ。 すぐに48丁目にぶつかって、左手へ折れると楽器街です。48th Street の7番街と6番街にはさまれた区間は Sam Ash とか Rudys といった楽器店が並んでいるのです。その楽器街を、ちょっとだけ歩きました。というか、まぁ 足を踏み入れた程度でしたが。ホテルからたぶん 5 ~6 分歩いた程度だと思います。
それから、増尾さんは、私がその晩どこへ行く予定かを訊ねました。増尾さんの演奏が聴けないならばヴィレッジ・バンガードへ行くつもりだった、と答えると、タクシーをつかまえてくれ一緒に乗りました。7番街を、バンガードのあるダウンタウン方向へ。同じ方向に増尾さんのご自宅もあります。

わずかながらお話できて、大満足でした。増尾さんが音楽活動の拠点としてあえて選んで住んでいらっしゃる街 ニューヨークでお会いできて、しかもお話もさせていただけて。増尾さんの音楽からイメージしていたとおり、いや、それ以上に素敵なお人柄を感じました。

7番街をそのまままっすぐ走行すれば、すぐにヴィレッジ・バンガードの真ん前に着いてしまいます。 もう、タクシーを降りるまでの間しか時間が残されていない、と思った私は、タクシーの中で 思い切って バッグの中からマーカーペンなどを取り出し、サインをお願いしようとしました。 が 「それはあとで」 と言われ(??) 引っ込めました。そりゃ そうです。タクシーの座席では手元が揺れて書きにくいのに、失礼ですよね。それにすぐに降りなきゃならないから落ち着かないし。 まぁ 私としては、揺れた文字だろうが、信号待ちの間に1文字だけだろうが、とにかく いただけたらという気持ちではあったのですが。

増尾さんがタクシー ドライバーに “Here is fine.” と言って降りた地点は、ヴィレッジ・バンガードのそばではあったけれど真ん前ではありませんでした。なんとっカフェに入ってくれたのです!! テーブルをはさんで落ち着いてお話させていただき、サインもいただきました。私なんぞのためにお時間を割いていただいて、本当に感謝です。

なにより、増尾さんは、押し掛けた私に対して ファンサービス という感じではなく、いかにも対等な立場で知り合ったかのごとく 私をまともに相手にしてくださったのです。そのお人柄に接して、うまく言葉にできないのですが、心の深いところで感じるものがありました。この回想シリーズ「出会った頃」を ダラダラ と引っ張って回を重ねて書いていますが、こういったことこそが、書きたいポイントなのです!! 私がどんな仕事をしているかなども訊ねてくれて、本当に、一人の人間対人間として接してくれたのです。

カフェを出てから、なんとヴィレッジバンガードまで歩いて送ってくださって、舗道入り口から地下のヴィレッジバンガードへ降りる階段でお別れしました。

初ニューヨーク旅行の最後の晩がそれでしたから。帰りの飛行機では、それを思い出しては一人で顔をニマッとさせてしまい、近くの席のツアー団体参加者さんたちからナニナニ? --なんだ、ヤレヤレ と反応されてしまったものです。

このツアーの後で知ったことですが、映画会社の宣伝の「特賞はニューヨーク無料ご招待」という懸賞は、嘘ではありませんでした。私と相部屋だった人が、無料招待に当たって参加したのだそうです。彼女は、ほかのツアー参加者にねたまれることを懸念してか?ツアー中はそのことを黙っていましたが、後日私に教えてくれたのでした。教えてもらってよかったです。だって、それまでは自分が当選した「格安優待」の参加費だって、本当に映画会社さんが一部を負担してくれたかどうか半信半疑だったのが、今度こそ間違いなく本当なのだと思えたから。もちろん、価格的に考えても当時のパッケージツアーの相場からして どう考えても安すぎたわけで それほど疑ってはいませんでしたが。

ニューヨークで増尾さんに会ってもらえた感激と感動は、日本に帰ってきてからも じわじわと私の中で醗酵しました。(実は、もっと正確にいうなら、この後の出来事なども含めて、2~3年かけて、ということになります。)

増尾さんほど世界的にも認められて活躍している人、しかも私にとって雲の上の憧れの人が、ずっと年下で社会的にもとりえのない私に、心を開いて一人の人間として接してくれたわけです。こんなずうずうしいファンが たくさんいたら増尾さんの足を引っ張りまくりですよね(懺悔~)。 もともと、増尾さんのご経歴を読んだときから 人間としてスケールの大きい お方だというイメージが私にはあったわけですが、直接お会いして、その大きさを実感しました。威圧的な感じとは違って ふわーっ と爽やかなんだけど、なんだか大きいんです(彼の音楽と同じ!)。同時に、「上から目線」でなく同じ目の高さで話させていただいただけにかえって、自分が人間として増尾さんに全然つりあっていないという当たり前の現実を、いやでも意識させられた気がしたわけです。社会的な成功とか知名度とかは別にして、せめて心の大きさくらいは、増尾さんに少しでも近づきたい、という気持ちにさせられたのでした。…… そのわりには現在の私、目指すところに届かず いまだに もがきながら低空飛行していますけど。それでも私の人生に大きなプラスをいただいたことは間違いありません。

私と同じように、ファンとしてニューヨークで増尾さんにお会いして、似たようなことを感じた方が、ほかにも少なくとも1人いらっしゃいます。週刊少女コミック、別冊少女コミックなどに連載されていた漫画家 川原由美子さんです(彼女は私のような一般人ではなく漫画家として名の通った方なので、ちょっと立場が違いますけど)。

川原由美子さんの、小学館 フラワーコミックス『すくらんぶるゲーム (4) 』(1983年2月初刷り) の中に、4ページ分の「ニューヨーク旅行記」というのがあります(コミックス用に書き下ろされたページに思われますが、その点は不明)。「昨年の5月」に行ってきたというニューヨーク旅行について4ページ描かれていて、そのうちの ほぼ 1ページが、増尾さんにお会いしたことについて割かれています。
( 写真には2冊写っていますが、
実は『すくらんぶるゲーム』だけじゃなく
もう1冊のほうでも作品中に増尾さんの
名が1度出てくるのです。)
コミックス1表紙コミックス2背


現在、中古でしか入手できないようですので、著作権の問題もあるかと思いますが、あまり大きすぎない(と私が思う)程度に、ここで紹介させてください。 1ページ足らずの紙面に雰囲気たっぷりに巧みに描いてまとめていらっしゃいます。

コミックス3ニューヨーク旅行記p1
コミックス4ニューヨーク旅行記p4← このページです。
 ご興味あるかたは
 画像をクリック
 してください。



このページの内容は:

なんとあの 増尾好秋 さんにお会いしてきたのだ 」ではじまって

… このたんなる 一ファンのずうずうしくもあつかましいお願いに 増尾さんは快く応じてくださり …

… お忙しい中 時間を割いて下さった増尾さんは 初対面の年下の女の子に対しても本当に真剣に相手をしてくださったのです…

… 「魅力的な人」って言うのはこういう人のことを言うんだろうなー ってつくづく …

… 増尾さんの作る音楽があんなにも やさしくてすてきなのは やっぱりご本人の姿勢と人柄だと思うのです …

… 増尾さんという「人間」に触発されてしまいました。…

… 袖すりあうも他生の縁ならばご縁があったのなら せめて恥ずかしくないくらいの自分を持ちたいって そう思ったのでした …

などと書かれていました。

ものすごく共感を覚えてしまいます。

実は、このニューヨーク旅行記について私が知ったのは、うんと後になってからで、2007年1月だったかな~ ? ライブ友Tさんから教えていただいたのです。(ネームをここで書いていいのかどうか迷うのでとりあえずTさんとだけ。Tさん、教えてくださっただけでなく、貴重なものを、本当にありがとうございます。) 
川原さんはほかの作品でも、増尾さんの名を出したり、あるいは登場人物の名にミュージシャンの名の一部をあてたりしていたのですね。知らなかった。ちなみに私は、一時期少女まんがをけっこう読んでいて、川原さんの作品もいくつか読んだことがあり、わりと好きだったと記憶しています。ただし、増尾さんの名が作品に登場する頃は、リアルタイムでは読んでいなかったんだと思いますね。
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Author:Kaco
一番好きなミュージシャンの公式ファンサイト を趣味で編集・管理しています。東京在住。音楽と無関係の仕事と雑事にいつも追われています。猫大好きですが、飼ってはいません。上のネコちゃん写真は米国PA州にあるM邸で撮影(→詳細はこの記事)。私へのメールは、当ブログのメール送信フォーム、または上記サイトの送信フォームから。

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