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出逢った頃(9) 武道館でのラッキー

※回想「出逢った頃」(1)(8)の続きです。
興奮の初ニューヨーク7日間から日本の成田に戻ったのは1980年11月26日。無事に帰ると、まず、スーツケースをゴロゴロしながら銀行のATMへ立ち寄りました。私のニューヨーク旅行中に給料日(25日)があったので、振り込まれた給料をごっそり引き出すためです。そして、その足で消費者金融業者に10万円を返しにいきました。出発前日に借りたお金を、規定の最短期間である10日以内に無事に返すことができたので、利子は最低限で済んでひと安心。窓口でお金を渡すときに、自分がニューヨーク旅行帰りで成田から来たばかりであることを話すと、店員さんはカウンターごしに私のスーツケースを見て、ちょっと珍しいタイプの客を見るかのように「へぇ~~」という反応をしていました。

旅先で使い切らずに持ち帰った残金で、安アパートの家賃も払えたし、それからほんのしばらくでタイミングよく冬のボーナスが降りて、うまく食いつなげたわけです。あと、ツアー参加費のローンも残っていました。ツアー申し込み時に支払った頭金を除いて、残額18万円を月賦払い。これは順調に支払って、6カ月で無事完済しました。

それからは次のニューヨーク旅行のための貯金です。もう一度行く気満々でした。安月給だし、思わぬ痛い臨時出費があったりもして、そう早くは貯まりませんでしたが…… 貯まったら、今度こそ、ニューヨークで増尾さんの演奏をナマで聴こう って心に決めていました。そのためには、事前に増尾さんの出演情報をキャッチしなければならない。具体的にどうすればいいという確信はなかったけど、何とかなるような気がしていました。

そうこうしているうちに、久しぶりの増尾さん来日です。1982年春。日本武道館で「テクニクス・ジャパン・ジャズ」と題して、増尾さんのバンドのほか、ハービー・ハンコックや日野皓正さんなどのバンドが出演するインベントがあったのです。東京ドームは当時まだありませんでしたから、武道館といえば屋根のあるコンサート会場としては最大だったと思います。

増尾さんに渡す花束と小さいプレゼントを持って武道館に行きました。アリーナ席が取れたので、すんなり渡せると思っていたのですが…… なんと、ステージに近寄れないようロープが張ってあるのです。客席最前列とステージの間に、車止めのチェーンのように太いロープが右端から左端まで渡してありました。ロープをまたいで越えることは物理的には簡単ですが、要するにステージへの歩み寄り禁止のサインなわけで……まぁジャズファンにはそんなもの必要ないんですけどね。しかも駆け寄り制止要員と思われるスタッフが何人も左右に立って見張っていました。ジャズファンは(少なくとも私の知っている当時のファンは)ステージに押し寄せないですよ。せいぜい最後にパラパラと歩み寄る程度でしょう。会場準備のスタッフは、ロック コンサートと混同したのでしょうか。ジャズでは聴衆がおとなしく かしこまりがち。しかもジャズには珍しい特大ホールで、ただでさえステージと観客の一体感が得にくいのに、ロープの存在はいっそうそれを難しくしている感がありました。これはちょっと興ざめで、残念でしたね。

というわけで、花束などを渡せなかったのです。

終わって観客が思い思いに席を立つ頃、私のほかにも花束を持っている人がいました。増尾さんのご両親およびもうひとりの女性の3人連れが、花束を手にゆっくり移動中。これから楽屋へ行くような様子です。ちなみにその3人は、以前の 『Good Morning』 コンサートの会場でもお見かけしていたので、私にとって見覚えがありました。そこで思い切って、ご両親ではない若いほうの女性に話してみました。「これを増尾さんに渡していただけませんか」と。私の持って来た花束などを彼女に託そうとしたのです。そしたら、

女性: 「いっしょに来ませんか?」
私 : 「あ、はい!  ありがとうございます!!」

な、何なんだ? この展開は?!! できすぎっ (嬉)

どこをどう通ったかはもう全然覚えていないけれど、通路を何度も曲がったりエレベータに乗ったり。たどり着くまでドキドキものでした。出演者が多いので控え室がいくつかに分かれていたみたいで、たしか増尾さんバンドの控え室は日野さんバンドと一緒だったように覚えています。それにしても、まさか自分が武道館の楽屋に行かせてもらえるとは思いもよりませんでした。なにしろそれまで、どのコンサートホールの楽屋にも入ったことはありませんでしたから。ましてや武道館なんて、とても入れてもらえそうにないですし。第一、楽屋がどこにあるかもわからないので「出待ち」することもまるっきり考えずに出かけたのですから。

控え室へ入 っていくと、増尾さんが奥のほうから私に目をやるとすぐに気付いてくれて、「あー、久しぶり!」と笑顔で言ってくれました。1年半ぶりです。覚えててくれた!!

増尾さんに渡すものを渡し、ちゃっかりサインをもらいました。ほかにもサインをもらっている人たち、おそらくは関係者のツテで楽屋へ入ったような人たち、が何人かいましたね。

それから奥様シャーリーさんともちょっと話しました。日本語でです。そのとき、できれば訊ねたいと思っていたことがあったのを思い出し、質問してみました。自分が次にニューヨーク旅行に行くときのために、増尾さんがニューヨークで演奏される予定を知りたいときには、どこに問い合わせたらいいのでしょう? と。
シャーリーさんはニッコリしながら 「うちに電話して」 ですって !!

あとあとになって考えてみると、その返答はもしかして、私がただのファンじゃなく関係者だと思われたからだったのかな?という気もします。そういえば私、自分が何者であるか(つまり、ただのファンだということ)を、シャーリーさんに告げていませんでした。楽屋に入れてもらえた時点で、普通のファン っぽく見えないじゃないですか!

でも、実際に一度ニューヨークで電話したことのある私。それに、どっちにしろ それしか方法がないかもしれないから、そうしてみるしかない、と覚悟を決めたわけです。

ところで、「(楽屋まで)いっしょに来ませんか?」と言ってくれた女性のことですが、増尾好秋さんの親戚だろう、ぐらいに思っていました。おそらく従姉妹あたりでは?と思っていたのです。というのは当時私は、増尾さんに弟さんがいることは知っていたものの、お姉さんが2人もいるなんて全く知らなくて、二人兄弟だと思い込んでいたのです。でも、実は四人兄弟姉妹だったのですね。今から思えば、あの女性はきっと好秋さんのお姉さんでしょう。そのお姉さんのおかげで楽屋に入ることができ、そのおかげでシャーリーさんに質問することができ…… とあとあとへつながったわけなのですが、お姉さんをその後1990年にもう一度だけお見かけしたもののお話する勇気が出ず、それっきり会えず、伝えたいことを伝えられずに終わってしまいました。
心残りです。
(→ (10)へ続く )
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Kaco

Author:Kaco
一番好きなミュージシャンの公式ファンサイト を趣味で編集・管理しています。東京在住。音楽と無関係の仕事と雑事にいつも追われています。猫大好きですが、飼ってはいません。上のネコちゃん写真は米国PA州にあるM邸で撮影(→詳細はこの記事)。私へのメールは、当ブログのメール送信フォーム、または上記サイトの送信フォームから。

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