スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
web拍手 by FC2

出逢った頃(14) 1983年1月東京でロリンズ公演

回想シリーズ 「出逢った頃」編 (1)(13) の続きです。

というわけで、念願の増尾さんライブに2夜連続で行けたし、別の日にもお話させていただけて、2回目の New York は私にとって本当に夢のようでした。ほかにも、せっかくの機会だからと思って自分の仕事と間接的に関係ある人とお会いするようなこともしました。ひどい英語力不足でストレスも味わいましたけど。貴重な体験で、短いながら充実した日々でした。

ホテルをチェックアウトして地下鉄の West 4th 駅に潜り、JFK空港行きの電車を待ちました。電車が来たら、あとは空港直通。「もう、マンハッタンの空を見ることもないんだ」と思いました。ほんとに名残り惜しかったです。乗り込むと、空港行きはほかの地下鉄電車とは椅子や手すりの配置が違っていて、何より車内が綺麗でした。New York に降り立った時に乗ったマンハッタン行き地下鉄ではそんなこと分からなかったけど、帰りは車内の雰囲気が他の地下鉄路線と違うことがよくわかって、もう帰途に入ってしまったことを感じ、寂しかったです。

当時の New York を思うと、今もワクワクが蘇ってきます。たぶん、個人的に最高の思い出ができた街だから、という理由が大きいのだと思いますが。もっと後になって New York に行ったときも、特にあのワシントン・スクエアのある一帯、グリニッジヴィレッジと呼ばれるあたりの雰囲気は本当に好きだな~と思いましたね。もしも人に過去世というものがあるならば、自分が一度過去に住んだことがあるんじゃないか?と思えるような感じです。
ただ、90年代あたりからNew Yorkは比較的きれいで安全になったそうで、私が当時持ったイメージと今はちょっと違うかもしれないです。ジャズシーンもだいぶ変わりましたしね。地価が高騰して、若手アーティストなどは住みにくくなったでしょうね。おそらくアーティストにとっては1970年代、80年代もすごく競争の激しい厳しい街だったんだろうなと思いますが、今はもっと厳しいのかなと想像します。

1980年と82年のNY旅行の思い出は、私にとって宝物になりました。それまでの私は長年家族に重病人がいて医療費や介護などでの負担があり余裕のない生活でしたし、家族旅行を一度もしたことがありませんでした。経済的なことだけでなく、考えもどっちかというと真面目で堅苦しい家庭でした。自分のありったけのお小遣いや時間やエネルギーを、言ってみれば「遊行」に注ぎ込むなんて、私にとってはかなり大それたことだったのです。それが、思い切ってやってみたら、手作り旅行の充実感は、「遊行」と呼ぶにはそぐわない、自分にとって価値あるものでした。また、たまたま計画段階からいくつかのラッキーに助けられたこともあり、そして何より、増尾さんのお人柄のおかげで、とびっきりいい思いをさせていただいたわけです。それまでの人生で少しずつ自分の奥底に溜まってつっかえていた何か(いじけ心のようなもの?)がスコーンと取り払われたかのように、スカッと 晴れ晴れした すがすがしい 心持ちになりました。

増尾さんの音楽に出逢うだけでもすごく心の励みになりましたが、このNY旅行で増尾さんにはとても返せないほどの大きな借りを作ったというか、いただきものをしてしまいました。そして、その影響で私は転職さえもして、今の仕事につながっています(転職は正解だったと思っています)。

さて、私が2回目のNY旅行から帰国したのが12月9日でしたが、それから1カ月もしない1983年1月には増尾さんはソニー・ロリンズ バンドのメンバーとして来日しました。ロリンズが『Reel Life』というニューアルバムのリリースに合わせて日本ツアーに来たのです。その『Reel Life』では、増尾さんがギターで参加されているだけでなく、増尾さんの楽曲 Sonnyside Up も提供しています。

楽しみにしていたロリンズ来日直前の年末、私はひどい風邪を引きました、一人暮らしだったし近くの薬局が開いてなくて元日と2日は薬を買うこともできず、きつかったのを覚えています。熱が続くこと3日間。早く治そうとできるだけ寝ていました。
1月4日に、なんとか治りかけて病み上がりの足どりで、ロリンズの初日公演のある芝の郵便貯金ホールへ向かいました。寝てばかりいたので筋肉が少し落ちたようで、久しぶりに外を歩くと足元フラフラとおぼつかなかったです。開演に間に合うのがやっとでした。開演の少し前にメンバーが会場のロビーかどこかで樽酒を割っていたとは、後になって雑誌の記事か何かの写真で知ったこと。ううぅ、見られなかったのはちと残念。でも、無事にコンサートに行って楽しめてよかった!

1月8日土曜と9日日曜の新宿 厚生年金会館にも行きました。

9日が東京公演の最後でした。終演後に楽屋口へ行くと、渡辺香津美さんや峰厚介さんが増尾さんに簡単に挨拶していかれました。そして私もご挨拶。そこで たまたま出会った二人連れのファンが増尾さんと並んで記念写真をとらせてもらっていて、私も撮ってくれました。後日、現像・プリントした写真をいただきいたのがこれです。

1983TKY_36_17.jpg

このとき、ロリンズ公演のお仕事以外に、今回の来日で増尾さんどこかで演奏される予定はないんですか? ってうかがったら、今はないけど、もしも決まったら教えてあげる、とのこと! 自分の連絡先をお伝えしなきゃ、と思ったら、「大丈夫、ここに(メモが)あるから」と、大きな茶封筒を指さしました。う、嬉しい!私の連絡先を持っていてくれるなんて! (もしかして、マドリードからカードをくれたときのメモがそのまま残っていたのかしら? たぶん茶封筒の中はノートだと思います。)
そしてなんと、「これからもこういうコンサートのときは楽屋に来てよ 」と言ってくれました! 私の受けた感じでは、来てもいいよ、ウェルカムだよ、という 許可 を、増尾さん流のフレンドリーな言い方で明言してくれたんですね。だって増尾さん、大ホールに出演されるときも、ステージ上から客席に知っている人がいないかと一人一人見ていて 話しかけたそうですから。

それまで何度か楽屋などに行けて話せて「わぉ!会えた、話せた、ラッキー!」なんて思っていた私。もうこれからは、ビクビクせずに知り合いや関係者みたいな顔して入って行ける!永久パスポートをもらったみたい ... (パスポートといっても、増尾さんご本人は私に言ったことを忘れるかもしれなかったけど、自分がそういうことをしても迷惑がられないとわかったことが私には大事なポイントだったのです。でも私のような者が大勢いると困りますけどね。抜けがけすみません)

その日、帰宅後もしばらくはコンサートの演奏と、楽屋での会話を思い出しながら ボーーッ としていました。湯船に浸かりながら(安アパートだったので風呂がなく、隣にあった銭湯の大~きな湯船でした)、増尾さんの言葉をリフレインしつつ、なんだかとっても幸せ気分に包まれていました。それまでの小躍りするようなキャピキャピした喜びとかホクホクした嬉しさとかではなく、ジワーーッ とくる静かで持続的な満足感でした。


以来、私の増尾さんライブの追っかけはずっと今も続いています。

彼のオフィシャルなウェブサイトをやるようになってからも、たまに どうかすると、楽屋へ行くのを一瞬ためらいそうになる小心者の心が顔を出すのですが、それはたぶん昔 追っかけをしていたときの気分なのでしょうね。だって、演奏を聴くとやっぱり世界のマスオさんで、音は温かくフレンドリーだけれど、近づきがたいほど大きな人だとも感じるから。

(完)

回想シリーズ 「出逢った頃」編 を お読みくださり、ありがとうございました。 

なお、上記の後どうなったか気になる方のために簡単に書いておきますと、ロリンズ日本ツアーで日本にご滞在中の1月26日に池袋で元章さんのバンドに加わって演奏されることが急きょ決まり、前日に教えていただいて行きました。夕方4時からという、私の勤務時間中でしたが、これも超ラッキーなことにうまく都合がついて行くことができたのです。増尾さんに関しては私はほんとにラッキーなことが多かったです。
スポンサーサイト
web拍手 by FC2

テーマ : 音楽
ジャンル : 音楽

出逢った頃(13) 1982年ワシントンスクエア

回想 「出逢った頃」 シリーズ (1)(12) の続きです。

このシリーズ、最終話を手前に、長いこと中断してしまいました。その間いろいろありまして…。 でも先月、増尾さんのライブでお会いした怜零(れいれい)さんから「続きを」と背中を押していただいたので、私自身気になっていた続きを書いてしまいます。去年夏に、1982年NY旅行のプリント写真をようやくスキャンしておいたので、それら写真のなかからいくつかここにシェアします。スキャン画像を公開用にサイズ調整したり色あせを若干色補正したり、と1枚1枚個別に編集してがんばりました。


7th Ave South 通り沿いのクラブ 7th Ave South での増尾さんバンド2日目に、増尾さんは私のその後の滞在予定を聞いてくれて、なんと、日をあらためて会ってくださることになりました! わぁ~ 嬉しいっっ!! 迷わずありがたく時間を約束させていただきました。
自分の当時のメモを見ると、3日後にあたる12月4日のお昼過ぎに、まずは確認のお電話をいただいたようです。それから14時台に、私の泊まっていたアール・ホテルの前まで来てくださいました。

下の写真がホテル前の様子です。何げなく撮った1枚でしたが、逆光気味で雰囲気があって我ながら気に入っているのです。左手の建物がアール・ホテルです。写真をクリックして拡大表示すると、入口に Hotel Earl の文字が見えます。右手前方に見える木立はワシントン・スクエアの一角です。

Hotel Earl 前とワシントンスクエア

アール・ホテル は、増尾さんの当時のお住まいから徒歩10分くらいと思われます。以前の記事に書きましたが、このホテルは現在の Washington Square Hotel の位置にあり(ただし当時は今と違って格安ホテルでした)、住所は 103 Waverly Place, New York, NY 10011 USA。Google Maps などに住所を入力すると今では簡単に詳細マップを見ることができますし、ストリートビューさえも観られますね。

コールをいただいて、私は小躍りするような気分で2階の部屋から階段を下りました。ホテル正面出入口の外に増尾さんがいらっしゃるのがすぐにわかりました。当時流行していたウォークマンタイプのポータブル カセット プレーヤーをお聴きになっていたようで、ご挨拶するとヘッドフォンををカジュアルなショルダーバッグにしまわれました。あのとき何を聴いていらしたのだろうかと、今になってちょっと気になります。尋ねてメモしておけたらよかったかな。

増尾さんと、ホテル前の Waverly Place 通りをワシントン・スクウェアに向かって歩き始めました。進むとすぐに通りの名が「Washington Square North」に変わります。ワシントン・スクエアを囲む四辺の通りのうち北辺の通りです。スクエア北側中央には下の写真のような大きなアーチがあり、そこから少し入ると広場中央の噴水(冬は水が出ていない)があります。噴水近くは特に、楽器演奏とか大道芸をやっている人たちが集まっています。下の写真は、別の日に撮影したワシントン広場です。

ワシントンスクエア

増尾さんと同じ場所を通ったときは土曜の午後で、写真よりいっそう賑やかだったような気がします。なんとアップライト ピアノを引いている男性までいました。そばにリヤカーみたいな大きな台車があるのを増尾さんが指さして、「彼はピアノをいつもあれに載せて運んでくるんだ」と教えてくれました。えぇ゛っ ?!ピアノを手動の台車で運ぶとは?! @_@ 台に載せたり降ろしたりはどうやるんだろ? すごいパワフルなおじさんですね。ほかにも知ってるミュージシャンがいるようで、増尾さんにとってここは実にご近所なんだな~と実感しました。

ワシントン・スクエアから西端の Washington Square West に出ました。その通りは南側の Macdougal St にまっすぐ繋がっています。Macdougal St のカフェに入りました。正直のところカフェと呼ぶのがふさわしい店だったのかどうかもわかりませんけど、とにかくコーヒーを注文しました。

そこでしばらくお話させていただき、写真も撮らせていただきました。増尾さんが私の簡易カメラのシャッターを押してもくれました。次の4枚がそのときのすべてです。大失敗はありませんでしたが、私が撮らせていただいたのは、ピンボケもあって素晴らしい被写体のわりにもったいない出来で、すみません。

Y.Masuo 1982年12月-1

Y.Masuo 1982年12月-2

私(昔の)が写っている写真は、窓の外の様子などがわかるので2枚とも貼り付けておきます。

Kaco in NY 1982 -1

Kaco in NY, 1982-2

<追記> このとき何をお話したかほとんど思い出せなかったのですが、このページを公開した翌日に1つ、シェアできる内容を思い出しました。スペインにいらしたときについてです。増尾さんは、その秋にソニー・ロリンズ バンドのメンバーとしてヨーロッパ各地を演奏して巡回されたばかりでした。10月にスペインのマドリードから私にカードを送ってくださったことは「出遭った頃(10)」に書いた通りです。スペインに行った折に、本場のフラメンコを観に行ったそうです。踊り子さんたち「一人一人違っていて、ジャズみたいなんだ。良かったよ」と、だいたいそういった内容のことを話してくれました。<追記 ここまで>

この夢のようなシチュエーションで、もちろん緊張はしていましたが、増尾さんのフレンドリーな雰囲気に助けられて、たぶんわりと普通に話せたのではと思います。お店を出たところで解散しました。この、Macdougal St 沿いのお店に入った出来事を、増尾さんが後々まで覚えてくださってることが後でわかり、大大感激です。東京から来たとんでもない押しかけファン1人のために貴重なお時間を割いていただき、本当に感謝しています。

下の写真2枚は、NY滞在の最終日、翌日朝にはホテルをチェックアウトするという日に、ブランチをとったお店で撮ったものです。7th Ave. (7番街) または 7th Ave. South に面したお店だったと記憶しています。お店の入口部分が幅広の歩道に張り出しているこのような建物が多くて、写真でもガラス越しに見える向かい側の建物のなかに似たような造りがありますね。

1982NY_30_25.jpg

1982NY_31_50.jpg

このお店で食べたほうれん草オムレツは、おそらく卵3個使用。ホウレンソウもたっぷり。私にはボリュームありすぎだったけどそれなりに美味しかった。このお店にいたときの気分、覚えています。もう最後の日だと思うと名残惜しくて…

実はこの25年後、Blue Note New York で増尾さんを聴くために久しぶりに NY へ行ったときに、Blue Note に加えて日本食レストランでも生演奏を聴けたのですが、そのレストランも同じく 7th Ave South 沿いで、住所は 133 7Avenue South New York NY 10014 でした。かなり近いんだと思います。けど、昔オムレツを食べた店がどこにあるかは分からずじまいでした。もうなくなっているんだろうと思って、必死には探しませんでした。

(※ (14) へ続く ) web拍手 by FC2

出逢った頃(12) 念願のMasuoさんライブin NY '82

※回想「出逢った頃」 (1)(11) の続きです。


いよいよ ブレッカーズ・ブラザーズのお店 7th Ave. South へ向かいます。

店の前はこんな感じ。(前記事でも紹介のムック「サウンド・イン・ニューヨーク」より)

Sound in NYの7th Ave. South店構え写真


ずっと心に抱いて準備してきた私の1つの計画……「遠い憧れの街ニューヨーク、しかも増尾さんが活動拠点に選んでいる街ニューヨークで、憧れの増尾さんを聴く」 という夢が、いよいよ実現しようとしているわけです。本当に この場所、この時間 で間違いないんだろうか? いや、間違いないはずなんだけど、何か半信半疑なんですよね。そのせいか、店の前とか店に入ったときに興奮がクライマックス、という感じではありませんでした。
それに、成田へ向かったときからドキドキワクワクしていて、ずっと興奮が続いてましたし、慣れないことばかりでけっこう緊張も続いていました。 時差の影響で良く寝ていなかったし、どこか頭の芯がボーッと麻痺しているような感じでした。

7th Ave. South は2階にステージがあります。ライブをしっかり観て聴きたい客は2階の席。1階は、たぶん2階から聞こえてくる音を軽く楽しみながら飲むみたいな感じのところなのでしょう。なんちゅう贅沢な……。私は1階をのぞいてみるほどの余裕はなく、すぐに店の階段を上っていきました。

その日、そこに、間違いなく増尾さんがいて、演奏してくれました。ここまでたどり着く道のりの何と長かったことよ! 生で姿を拝めるだけでもう感動です。どのタイミングでご挨拶したんだったか、そのあたりは覚えていなくてちょっと残念。

7th Ave. South で演奏された曲は、当時の最新アルバム Mellow Focus と、その前のアルバム The Song Is You And Me の中からでした。それと当時未発表だった新曲 Sonnyside Up も演奏してくれましたよ。Sonnyside Up を聴いて一発で気に入りました。曲自体もタイトルのネーミングも いいな って思ったのを覚えています。その1カ月後の1983年1月発売のアルバム『Reel Life / ソニー・ロリンズ』に、この増尾さんの曲が入っていたわけですが、私はニューヨークで一足早く生で耳にすることができたわけです。
増尾さんは、ストラトみたいなギター(たぶんGreco SE-1000T)と、セミアコっぽく見えるギター(たぶんYamaha SA-1200)を持ち替えて使用されました。T.M. Stevens 、も、ダブルネックベースと普通のベースを2本使用しました。細かいことは、ちゃんとメモらなかったので、ごめんなさい、この程度しか書けないです。まさか何十年後にそれについて公開日記を書くことになるとはね。
ただ、強く印象に残ったので覚えていることは、Bluesion の演奏に圧倒されたことです。アルバム『The Song Is You And Me 』の中ではこの Bluesion という曲、特に大好きというほどでもなかったのです。でも、クラブの生演奏ではバンド全体がもっと激しく奔放で、このままどこへ行ってしまうんだ~?!って感じ。異空間へ飛ばされました。「この曲、ほんとは こんな凄い曲だったんだっ!」 おそらくスタジオや大ホールではこれほど思いっきりの良い演奏はなかなか 滅多にできるものじゃないだろうな~~ なんて思ったものです。ほかの曲では、もちろん増尾さんの流麗でメロディックなギターも楽しませてくれましたよ。

テーブルで会計するとき、あれ?って思いました。いやに安い。ミュージックチャージが含まれてない?‥‥店員さんがいうには、増尾さんが私をゲスト扱いにしてくれたのです。え~~っ?! このライブのことを事前に教えてもらっただけでも増尾さんにご迷惑をおかけしたのにぃ。 一介のファンの身でそこまでしていただいて、もう~~~感激するやら恐縮するやら。どうやってお返しすればいいのか わからなくなってしまいます。とりあえず精一杯の気持ちをこめてお礼をいいました。

そして、店から帰ろうとする私に増尾さんは、(ニューヨークで深夜に女一人は)危ないから、と心配してわざわざ店の外まで一緒に出てくださって、7th Ave を流れるタクシーをつかまえてくださいました。徒歩でなくちゃんとタクシーで帰りなさいよ、という保護者的なお心遣いもあったと思っています(万一私が事件に巻き込まれたら増尾さんとしても困るでしょうから)。そして、タクシーのドアをエスコート役のように開けて私が乗るのを見届けてくれました。ちなみに、タクシーのドアは日本の自動開閉式と違って客が手で開閉します。車の中から増尾さんに会釈。世界のマスオさんにわざわざ見送ってまでいただいて申し訳ない。それがライブ一日目でした。

もう、何がなんだかわからない。興奮しながらも、運転手さんには慣れない英語でちゃんと行先を言ったようです。ホテルの場所をどう伝えたかまるっきり覚えていないけど、問題なくスムーズにホテルに着いたのでした。

2日目夜のセブンス・アベニュー・サウスは、T.M.スティーブンスの奥様タカ子さん(タカちゃん)がいて休憩時間に同じテーブルに腰かけてくれ、ちょっとお話しました。その日は増尾さんの奥様シャーリーさん、そのお姉さまジュディさんも見えていました。演奏内容は、1日目と2日目の違いも覚えていないです(すみません!)。曲目は同じ(ほぼ同じ?)だったと思います。大満足したことだけは間違いないです!

終わってから、記念に増尾さんと一緒に写真を撮らせてほしいとお願いしたら、増尾さんは仲間を呼び集めてくれて、6人の集合写真となりました。私の持って行ったカメラをお店のスタッフに渡してたった1回だけ、シャッターを押してもらいました。あの頃はデジカメじゃなくフィルムカメラですから、その場で撮れているか確認できません。しかもあの安いカメラ、一度ダブル露出になったこともありましたし(たぶんフィルム巻き上げ忘れ防止機能の不具合)、フィルムを東京に無事に持ち帰って現像に出すまでの間は撮れているかどうか心配でした。でも、ちゃんと撮れていました!! しかも、誰も目をつむらないでちゃんと写ってる!私には奇跡的に思えました。

1982年12月1日7th Ave. Southにて記念写真
(クリックするともうちょっと大きくなります)


以来、この写真をB5くらいのサイズに引き延ばして、額縁に入れて私の部屋にず~~~っと(笑)飾ってあります。その間2回の引っ越しを経ています。

(13) に続く web拍手 by FC2

テーマ : '70年から'80年の洋楽
ジャンル : 音楽

出逢った頃(11) 2度目のNYと7th Ave South

※回想「出逢った頃」シリーズ。続きです。(ちょっと追記&画像追加しました 8/2 )

2回目のニューヨーク旅行は、初めてのときと違ってパッケージツアーを利用せず、航空券もホテルもそれぞれ自分で手配しようと心に決めていました。

ホテルの予約は、今みたいにEメール通信できないので、航空便レターで問い合せてから予約金を国際郵便為替で送って確認をもらうという方法。こういうことは日数がかかるので、ホテルへの事前の問い合せは、まだ増尾さんからの連絡待ちで出発日が決定していないうちからすでにやり始めていました。(最初の問い合せくらいは手紙じゃなく国際電話で聞く手もあったけど、国際通話料はとにかく高かったし、たぶん英語での通話で簡潔に間違いなくやりとりできるか自信がなかったんだと思う。) また、パスポートも取り直す必要があったのですが、それも早めに取得済みでした。気の早いことにトラベラーズチェックも既に買ってありました。増尾さんから連絡をいただいて日程が決まってからはじめて準備を開始するのでは、ひょっとしたら準備期間が足りないかもしれませんからね。

あと、アメリカ大使館へ自分で出向いて観光ビザの申請。当時はまだビザが必要でした。
航空券は雑誌か何かの広告で見つけた小規模な格安店で購入しました。
こういった準備がどれもほとんど初めてのことで、ちょっと緊張しながらも楽しみながらやりました。

ちなみに、ニューヨークまでの往復航空券が22万8000円(高かった)。ホテルはシャワー付きのシングルで1泊27ドルでした。ホテル代は今の相場よりはうんと安いのですが、当時1ドル=278円だったので、円に換算すると1泊 7,524円でした。

ああ、当時こんなに円が安かったんだから、日本の工場が、メーカーが、まだ元気だったんですね~(遠い目)

そして、1982年11月29日朝、一人ワクワクしながら成田へ向かい、前回の大韓航空とは違い憧れの Pan Am (パンナム) 航空のニューヨーク直行便で日本を発ちました。普通は給油のためにアラスカ州のアンカレッジにいったん立ち寄るわけで、あの頃は直行便はそんなに多くなかったです。

29日の朝、ニューヨークのケネディ空港に到着。ちゃんと迷わず地下鉄に乗れるだろうか?なんて心配は無用だったみたいで、スムーズに地下鉄に乗ってマンハッタンに入り、ウェスト・ヴィレッジにある West 4th 駅で降りて地上へ。ワシントン・スクエアの方へ向かってちょっと歩くと、予約しておいたホテル、Earl Hotel です。フロントに女性と男性が1人ずついて、男性のほうが階段から2階の部屋へと案内してくれくれました。窓からワシントンスクエアが見えます。部屋は安いだけあって一見うす汚れた感じだけど、掃除はしてあるようでした。ちなみにこのホテル、現在は Washington Square Hotelという名に変わって室内も高級っぽくなったようで、ネットでちょっと調べてみたところ1泊少なくとも200ドル以上するみたい。シングルの料金がなくなった(つまり一人で泊まっても二人で泊まっても合計料金は同じ)せいもあるでしょうし、なによりニューヨークのホテルの相場自体がものすごく上がったからもあるでしょうけど。もう私には絶対に泊まれないホテルになってしまいました(泣) いえ、今からでもうんとリッチになれたらまた泊まれるかもしれないけれど、そこまでしてねぇ ...

ホテルに荷物を置いていったん落ち着いてから、外へ出て 翌日増尾さんが出演する予定のお店、7th Avenue South の位置を確認しに行きました。ホテルから徒歩で行けるんです。もちろんそういう位置のホテルを選んだわけですが。ほんとに近くてそれが嬉しくて ...

7th Ave. South(セブンス・アヴェニュー・サウス)というお店は、マンハッタンの 7th Ave. South という通り沿いにありました。お店の名前と通りの名前が同じなのでややこしい! オーナーはブレッカー・ブラザーズで、1977年から1987年まで営業。7th Ave. South 通りは、 マンハッタンを南北に走る7th Ave.通り(7番街通り)の南端が “ ~South”という名に変わってそのままさらに南へ伸びる部分です。

サウンド・イン・ニューヨーク表紙


1981年11月15日発行のムック 「サウンド・イン・ニューヨーク」 (スイングジャーナル別冊)に、このお店を紹介する見開き記事がありました。

7th Ave.Southの紹介記事1ページ目 7th Ave.Southの紹介記事2ページ目


SinNYの7th Ave. South住所記述


店の住所番地は、 21  7th Ave. South, New York, NY 。上の記事の手書きマップは簡略化しすぎで交差する道路との位置関係が私にはかえって分かりづらいです。Leroy street は 7th Ave. South 通り(縦線| )に対して直角( - )ではなく斜め( / )ですから。正確に確認するには、今だったら Yahoo! MapsGoogle Maps で住所  21 7th Ave S New York, NY 10014 USA を入力して検索すれば一発です。

お店はすぐに見つかって、その日の私の位置確認は完了! 

今回の記事に書いた パンナム航空も、7th Ave South も、オーナーの一人だったマイケルブレッカーも、もうこの世にないんだと思うと、時の流れを感じますね ...
あ、でも増尾さんはご健在だ! よかったよかった。 web拍手 by FC2

出逢った頃(10) New Yorkライブ追っかけ計画-再NY旅行へ向けて

※回想「出逢った頃」シリーズ。続きです。

武道館の楽屋で増尾夫妻とお話できたのが1982年4月。
その年の7月に夏のボーナスが出た頃には私の貯金もだいぶたまったので、いよいよ秋に再びニューヨークへ行こうと計画しはじめました。

2回目になるニューヨーク旅行では今度こそ、日取りを増尾さんのライブに合わせなければ、私にとって高い旅費を払う意味がありません。何月何日にニューヨークのどこで増尾さんの生演奏が聴ける、という情報を事前に日本で得る必要がありました。しかも、そのライブの直前ではなく数週間以上前に知ることができなければ、格安航空券を入手したり仕事の休みを工面したりできません。

インターネットのホームページとかEメールがなかった当時、ライブの予定を増尾さん宅に電話で聞いていいと武道館楽屋で奥様シャーリーさんからうかがったので、図々しいけれどお言葉に甘えることにしました。といっても、いきなり国際電話してうまく話せる自信がありません(初のニューヨーク旅行で電話したときは勢いで掛けることができたけど… )。電話する前に、まずは手紙で事情を書くことにしました。秋に増尾さんのライブ演奏を聴きにニューヨークへ行きたいので、スケジュールをうかがいたく、お電話させていただきますのでよろしくお願いします、といった内容。実際にはもう少し丁寧に、自分の気持ちなどもしたためたと思います。その手紙を投函した後、届くのに十二分と思われる日数をあけてから、思い切って電話を掛けました。8月半ばのことでした。

電話の向こうの増尾さんは、私からの手紙をすでにご覧になっていたようで、「あー 」とすぐにわかってくれて、用件を伝えるのは楽でした。「今はね~、ニューヨークでやる予定ないの」 「9月にやるかもわかんないから電話してあげる。」 ひぇ~、それは申し訳ない。国際通話料金を増尾さんに負担させることになってしまう。電話を受ける側の私が通話料を負担するコレクト・コールにしてもらえばいいかな?という考えが頭をよぎったけど、節約暮らしの私は、コレクト・コール料金のほうが高いことを意識してしまいました。しかも増尾さんと話している最中なので、"いえ、コレクトで…" などと逆提案する余裕もなく、そのまま通話を終えてしまいました。ま、後日に清算またはお礼という手もあるか ... 
(※参考:当時の国際自動ダイヤル通話料金をネットで調べてみました。日→米 1980年:2430円/3分、 1982年:1830円/3分 http://www.caa.go.jp/seikatsu/koukyou/com/co02.html )

それから2週間ほどして増尾さんから電話をいただきました。9月に演るかもしれなかったのが結局なくなったとのこと。そして、また新たに決まったら郵便で教えてくださる、ということになりました。

いやはや、1回電話で話すたびにドキドキものでキンチョーするので、一大イベントです。ちなみに、ずっと後になって知ったことですが、このやりとりをしていた時期(1982年8月)、増尾さんはテナーサックスのソニー・ロリンズのバンドに再び入って仕事をされていたのです。8月7日にカナダのモントリオールで収録されたコンサートの映像が後にビデオテープやレーザーディスクやDVDで発売されて、私もDVDを持っています。

それから郵便での連絡を待ちました。これがまた私には問題だったのです。その頃住んでいた安アパートは、戸別の郵便受けがなく、大家さん気付けで受け取るしかありませんでした。まず1階に住む大家さんのところに届いて、大家のおばさんがそれを2階の各部屋まで持ってきてくれます。部屋を留守にしているとドアの隙間に挟んでくれたり、下に落ちていたりします。そして、大家さんは、ときどき郵便物を数日間溜め込むきらいがありました。そりゃ大家さんだって、ときには旅行もするでしょうしね。おかげで、コンサートの割引招待券を、コンサート当日を過ぎてから受け取った、なんてこともありました(ダイレクトメールなので、大家さんは大事じゃないと思ったのかも)。

こんな調子で、もしも増尾さんからの郵便が大家さんのところで滞留したり紛失なんてしたら困る。それだけは何としても食い止めなくては… というわけで大家さんに、アメリカから何か郵便来てませんか? 近いうちに大切な手紙がくるかもしれないのでよろしく、とお願いしておきました。

しかし、なかなか便りは来ません。1カ月ほど経ってだんだん心配になってきました。どうしよう。もしも、ライブの直前に知らせが届いたら、割安航空券と休暇の手配がうまくいかないかもしれない。ここまで図々しく増尾さんに尋ねておいて、「連絡いただいたのにニューヨークに行けない」なんてことになったら、と考えると真っ青です。いやいや、そんなこと心配してもしょうがない。とにかく待つしかない。

10月に入ってもただただ日が過ぎていきます。毎日アパートへ帰るたびに、今日は来てないかな?と気にするようになりました。最悪の場合、何かの事情で航空便が届かないなどの可能性だってあります。それに、ライブの日があまりに後ろにずれこむと、旅行のための仕事休みを取りにくくなる可能性があったのです。不安に押しつぶされそうな気分に、何度もなりました。

でも、もしも問題が発生して行けなかったら、そのときはそのときじゃないか。自分にできるだけのことをして、それでもダメなら誠意を込めて事情を話せば増尾さんはおそらく気を悪くするような人じゃない。もう運を天にまかせるようなつもりで、何とか心を保っていました。

10月も終わりの頃、大家さんが「来たわよ!」と戸口まで持ってきてくれました。
海外からのカードです!! 見たことのある文字。
でも、よく見ると ニューヨークからではありません。




なんと、


スペインにいる増尾さんから!!!!!


増尾さんは10月13日からロリンズのバンドでヨーロッパツアー中で、スペインのマドリードから絵ハガキを投函してくれたのでした。明るくフレンドリーなメッセージがあって、最後のほうに「11月30日と12月1日 7th Ave South でやる事になっています。11月20日前後にSonny RollinsのバンドでBottom Lineでもやる事になっています。

なんて 心にくい 演出 ! ......感激です

私の住所を旅先まで持っていってくださったのですね。

行ける!  ニューヨークに行ける!!

準備期間が1カ月ある。格安航空券を購入するのに十分な日数があるし、旅行する時期は仕事休みをとれるギリギリの範囲内。やった!!!!!


できることなら11月20日前後のボトムラインでのロリンズと、11月30日&12月1日の7th Ave South の両方をカバーできるように滞在期間をとりたかったものの、仕事を休める日数に限りがあり、両方は無理。しかも、ボトムラインのほうは正確に20日かどうかわからないので断念し、7th Ave South のみに照準を合わせることにしました。11月29日出発して9泊11日間の旅です。 いざ、2回目のニューヨークへ! web拍手 by FC2

出逢った頃(9) 武道館でのラッキー

※回想「出逢った頃」(1)(8)の続きです。
興奮の初ニューヨーク7日間から日本の成田に戻ったのは1980年11月26日。無事に帰ると、まず、スーツケースをゴロゴロしながら銀行のATMへ立ち寄りました。私のニューヨーク旅行中に給料日(25日)があったので、振り込まれた給料をごっそり引き出すためです。そして、その足で消費者金融業者に10万円を返しにいきました。出発前日に借りたお金を、規定の最短期間である10日以内に無事に返すことができたので、利子は最低限で済んでひと安心。窓口でお金を渡すときに、自分がニューヨーク旅行帰りで成田から来たばかりであることを話すと、店員さんはカウンターごしに私のスーツケースを見て、ちょっと珍しいタイプの客を見るかのように「へぇ~~」という反応をしていました。

旅先で使い切らずに持ち帰った残金で、安アパートの家賃も払えたし、それからほんのしばらくでタイミングよく冬のボーナスが降りて、うまく食いつなげたわけです。あと、ツアー参加費のローンも残っていました。ツアー申し込み時に支払った頭金を除いて、残額18万円を月賦払い。これは順調に支払って、6カ月で無事完済しました。

それからは次のニューヨーク旅行のための貯金です。もう一度行く気満々でした。安月給だし、思わぬ痛い臨時出費があったりもして、そう早くは貯まりませんでしたが…… 貯まったら、今度こそ、ニューヨークで増尾さんの演奏をナマで聴こう って心に決めていました。そのためには、事前に増尾さんの出演情報をキャッチしなければならない。具体的にどうすればいいという確信はなかったけど、何とかなるような気がしていました。

そうこうしているうちに、久しぶりの増尾さん来日です。1982年春。日本武道館で「テクニクス・ジャパン・ジャズ」と題して、増尾さんのバンドのほか、ハービー・ハンコックや日野皓正さんなどのバンドが出演するインベントがあったのです。東京ドームは当時まだありませんでしたから、武道館といえば屋根のあるコンサート会場としては最大だったと思います。

増尾さんに渡す花束と小さいプレゼントを持って武道館に行きました。アリーナ席が取れたので、すんなり渡せると思っていたのですが…… なんと、ステージに近寄れないようロープが張ってあるのです。客席最前列とステージの間に、車止めのチェーンのように太いロープが右端から左端まで渡してありました。ロープをまたいで越えることは物理的には簡単ですが、要するにステージへの歩み寄り禁止のサインなわけで……まぁジャズファンにはそんなもの必要ないんですけどね。しかも駆け寄り制止要員と思われるスタッフが何人も左右に立って見張っていました。ジャズファンは(少なくとも私の知っている当時のファンは)ステージに押し寄せないですよ。せいぜい最後にパラパラと歩み寄る程度でしょう。会場準備のスタッフは、ロック コンサートと混同したのでしょうか。ジャズでは聴衆がおとなしく かしこまりがち。しかもジャズには珍しい特大ホールで、ただでさえステージと観客の一体感が得にくいのに、ロープの存在はいっそうそれを難しくしている感がありました。これはちょっと興ざめで、残念でしたね。

というわけで、花束などを渡せなかったのです。

終わって観客が思い思いに席を立つ頃、私のほかにも花束を持っている人がいました。増尾さんのご両親およびもうひとりの女性の3人連れが、花束を手にゆっくり移動中。これから楽屋へ行くような様子です。ちなみにその3人は、以前の 『Good Morning』 コンサートの会場でもお見かけしていたので、私にとって見覚えがありました。そこで思い切って、ご両親ではない若いほうの女性に話してみました。「これを増尾さんに渡していただけませんか」と。私の持って来た花束などを彼女に託そうとしたのです。そしたら、

女性: 「いっしょに来ませんか?」
私 : 「あ、はい!  ありがとうございます!!」

な、何なんだ? この展開は?!! できすぎっ (嬉)

どこをどう通ったかはもう全然覚えていないけれど、通路を何度も曲がったりエレベータに乗ったり。たどり着くまでドキドキものでした。出演者が多いので控え室がいくつかに分かれていたみたいで、たしか増尾さんバンドの控え室は日野さんバンドと一緒だったように覚えています。それにしても、まさか自分が武道館の楽屋に行かせてもらえるとは思いもよりませんでした。なにしろそれまで、どのコンサートホールの楽屋にも入ったことはありませんでしたから。ましてや武道館なんて、とても入れてもらえそうにないですし。第一、楽屋がどこにあるかもわからないので「出待ち」することもまるっきり考えずに出かけたのですから。

控え室へ入 っていくと、増尾さんが奥のほうから私に目をやるとすぐに気付いてくれて、「あー、久しぶり!」と笑顔で言ってくれました。1年半ぶりです。覚えててくれた!!

増尾さんに渡すものを渡し、ちゃっかりサインをもらいました。ほかにもサインをもらっている人たち、おそらくは関係者のツテで楽屋へ入ったような人たち、が何人かいましたね。

それから奥様シャーリーさんともちょっと話しました。日本語でです。そのとき、できれば訊ねたいと思っていたことがあったのを思い出し、質問してみました。自分が次にニューヨーク旅行に行くときのために、増尾さんがニューヨークで演奏される予定を知りたいときには、どこに問い合わせたらいいのでしょう? と。
シャーリーさんはニッコリしながら 「うちに電話して」 ですって !!

あとあとになって考えてみると、その返答はもしかして、私がただのファンじゃなく関係者だと思われたからだったのかな?という気もします。そういえば私、自分が何者であるか(つまり、ただのファンだということ)を、シャーリーさんに告げていませんでした。楽屋に入れてもらえた時点で、普通のファン っぽく見えないじゃないですか!

でも、実際に一度ニューヨークで電話したことのある私。それに、どっちにしろ それしか方法がないかもしれないから、そうしてみるしかない、と覚悟を決めたわけです。

ところで、「(楽屋まで)いっしょに来ませんか?」と言ってくれた女性のことですが、増尾好秋さんの親戚だろう、ぐらいに思っていました。おそらく従姉妹あたりでは?と思っていたのです。というのは当時私は、増尾さんに弟さんがいることは知っていたものの、お姉さんが2人もいるなんて全く知らなくて、二人兄弟だと思い込んでいたのです。でも、実は四人兄弟姉妹だったのですね。今から思えば、あの女性はきっと好秋さんのお姉さんでしょう。そのお姉さんのおかげで楽屋に入ることができ、そのおかげでシャーリーさんに質問することができ…… とあとあとへつながったわけなのですが、お姉さんをその後1990年にもう一度だけお見かけしたもののお話する勇気が出ず、それっきり会えず、伝えたいことを伝えられずに終わってしまいました。
心残りです。
(→ (10)へ続く ) web拍手 by FC2

出逢った頃(8) ミュージシャン増尾さんの人間的魅力に接して

回想 「出逢った頃」シリーズ (1)(7) の続きです。

増尾さんにしてみれば、どこの誰ともわからない人間からいきなり電話がかかってきたわけです。素性も何も知らない私に、わざわざ会ってくださって、本当に感謝感激!

「どこの誰ともわからない」といっても、私の名前だけなら、ひょっとしてぼんやりと覚えていただいてた かも しれません。ファンレターの返事をいただけたり六本木PIT INNで名前を聞かれたりしたことがあったので。でも、それから既に1年とか2年たっていました。それにまぁ、たとえ名前だけ覚えてくださっていたとしても、大差ないですね。

ホテルの部屋からエレベーターを降りたらすぐそこに憧れの増尾さんがいらっしゃるというのは、まさに夢のようでした!! 軽く挨拶しながらホテルの外へ出ました。雨が止んでいました。「(雨あがりで)気持ちいいから歩こうよ」 とフレンドリーに言ってくださって、夜の街を歩きはじめました。歩きながら、ご自身のその頃の心境などもいきなり語ってくださっていましたね。
ホテル前の通り Broadway を、51丁目目からダウンタウン方向へ。 すぐに48丁目にぶつかって、左手へ折れると楽器街です。48th Street の7番街と6番街にはさまれた区間は Sam Ash とか Rudys といった楽器店が並んでいるのです。その楽器街を、ちょっとだけ歩きました。というか、まぁ 足を踏み入れた程度でしたが。ホテルからたぶん 5 ~6 分歩いた程度だと思います。
それから、増尾さんは、私がその晩どこへ行く予定かを訊ねました。増尾さんの演奏が聴けないならばヴィレッジ・バンガードへ行くつもりだった、と答えると、タクシーをつかまえてくれ一緒に乗りました。7番街を、バンガードのあるダウンタウン方向へ。同じ方向に増尾さんのご自宅もあります。

わずかながらお話できて、大満足でした。増尾さんが音楽活動の拠点としてあえて選んで住んでいらっしゃる街 ニューヨークでお会いできて、しかもお話もさせていただけて。増尾さんの音楽からイメージしていたとおり、いや、それ以上に素敵なお人柄を感じました。

7番街をそのまままっすぐ走行すれば、すぐにヴィレッジ・バンガードの真ん前に着いてしまいます。 もう、タクシーを降りるまでの間しか時間が残されていない、と思った私は、タクシーの中で 思い切って バッグの中からマーカーペンなどを取り出し、サインをお願いしようとしました。 が 「それはあとで」 と言われ(??) 引っ込めました。そりゃ そうです。タクシーの座席では手元が揺れて書きにくいのに、失礼ですよね。それにすぐに降りなきゃならないから落ち着かないし。 まぁ 私としては、揺れた文字だろうが、信号待ちの間に1文字だけだろうが、とにかく いただけたらという気持ちではあったのですが。

増尾さんがタクシー ドライバーに “Here is fine.” と言って降りた地点は、ヴィレッジ・バンガードのそばではあったけれど真ん前ではありませんでした。なんとっカフェに入ってくれたのです!! テーブルをはさんで落ち着いてお話させていただき、サインもいただきました。私なんぞのためにお時間を割いていただいて、本当に感謝です。

なにより、増尾さんは、押し掛けた私に対して ファンサービス という感じではなく、いかにも対等な立場で知り合ったかのごとく 私をまともに相手にしてくださったのです。そのお人柄に接して、うまく言葉にできないのですが、心の深いところで感じるものがありました。この回想シリーズ「出会った頃」を ダラダラ と引っ張って回を重ねて書いていますが、こういったことこそが、書きたいポイントなのです!! 私がどんな仕事をしているかなども訊ねてくれて、本当に、一人の人間対人間として接してくれたのです。

カフェを出てから、なんとヴィレッジバンガードまで歩いて送ってくださって、舗道入り口から地下のヴィレッジバンガードへ降りる階段でお別れしました。

初ニューヨーク旅行の最後の晩がそれでしたから。帰りの飛行機では、それを思い出しては一人で顔をニマッとさせてしまい、近くの席のツアー団体参加者さんたちからナニナニ? --なんだ、ヤレヤレ と反応されてしまったものです。

このツアーの後で知ったことですが、映画会社の宣伝の「特賞はニューヨーク無料ご招待」という懸賞は、嘘ではありませんでした。私と相部屋だった人が、無料招待に当たって参加したのだそうです。彼女は、ほかのツアー参加者にねたまれることを懸念してか?ツアー中はそのことを黙っていましたが、後日私に教えてくれたのでした。教えてもらってよかったです。だって、それまでは自分が当選した「格安優待」の参加費だって、本当に映画会社さんが一部を負担してくれたかどうか半信半疑だったのが、今度こそ間違いなく本当なのだと思えたから。もちろん、価格的に考えても当時のパッケージツアーの相場からして どう考えても安すぎたわけで それほど疑ってはいませんでしたが。

ニューヨークで増尾さんに会ってもらえた感激と感動は、日本に帰ってきてからも じわじわと私の中で醗酵しました。(実は、もっと正確にいうなら、この後の出来事なども含めて、2~3年かけて、ということになります。)

増尾さんほど世界的にも認められて活躍している人、しかも私にとって雲の上の憧れの人が、ずっと年下で社会的にもとりえのない私に、心を開いて一人の人間として接してくれたわけです。こんなずうずうしいファンが たくさんいたら増尾さんの足を引っ張りまくりですよね(懺悔~)。 もともと、増尾さんのご経歴を読んだときから 人間としてスケールの大きい お方だというイメージが私にはあったわけですが、直接お会いして、その大きさを実感しました。威圧的な感じとは違って ふわーっ と爽やかなんだけど、なんだか大きいんです(彼の音楽と同じ!)。同時に、「上から目線」でなく同じ目の高さで話させていただいただけにかえって、自分が人間として増尾さんに全然つりあっていないという当たり前の現実を、いやでも意識させられた気がしたわけです。社会的な成功とか知名度とかは別にして、せめて心の大きさくらいは、増尾さんに少しでも近づきたい、という気持ちにさせられたのでした。…… そのわりには現在の私、目指すところに届かず いまだに もがきながら低空飛行していますけど。それでも私の人生に大きなプラスをいただいたことは間違いありません。

私と同じように、ファンとしてニューヨークで増尾さんにお会いして、似たようなことを感じた方が、ほかにも少なくとも1人いらっしゃいます。週刊少女コミック、別冊少女コミックなどに連載されていた漫画家 川原由美子さんです(彼女は私のような一般人ではなく漫画家として名の通った方なので、ちょっと立場が違いますけど)。

川原由美子さんの、小学館 フラワーコミックス『すくらんぶるゲーム (4) 』(1983年2月初刷り) の中に、4ページ分の「ニューヨーク旅行記」というのがあります(コミックス用に書き下ろされたページに思われますが、その点は不明)。「昨年の5月」に行ってきたというニューヨーク旅行について4ページ描かれていて、そのうちの ほぼ 1ページが、増尾さんにお会いしたことについて割かれています。
( 写真には2冊写っていますが、
実は『すくらんぶるゲーム』だけじゃなく
もう1冊のほうでも作品中に増尾さんの
名が1度出てくるのです。)
コミックス1表紙コミックス2背


現在、中古でしか入手できないようですので、著作権の問題もあるかと思いますが、あまり大きすぎない(と私が思う)程度に、ここで紹介させてください。 1ページ足らずの紙面に雰囲気たっぷりに巧みに描いてまとめていらっしゃいます。

コミックス3ニューヨーク旅行記p1
コミックス4ニューヨーク旅行記p4← このページです。
 ご興味あるかたは
 画像をクリック
 してください。



このページの内容は:

なんとあの 増尾好秋 さんにお会いしてきたのだ 」ではじまって

… このたんなる 一ファンのずうずうしくもあつかましいお願いに 増尾さんは快く応じてくださり …

… お忙しい中 時間を割いて下さった増尾さんは 初対面の年下の女の子に対しても本当に真剣に相手をしてくださったのです…

… 「魅力的な人」って言うのはこういう人のことを言うんだろうなー ってつくづく …

… 増尾さんの作る音楽があんなにも やさしくてすてきなのは やっぱりご本人の姿勢と人柄だと思うのです …

… 増尾さんという「人間」に触発されてしまいました。…

… 袖すりあうも他生の縁ならばご縁があったのなら せめて恥ずかしくないくらいの自分を持ちたいって そう思ったのでした …

などと書かれていました。

ものすごく共感を覚えてしまいます。

実は、このニューヨーク旅行記について私が知ったのは、うんと後になってからで、2007年1月だったかな~ ? ライブ友Tさんから教えていただいたのです。(ネームをここで書いていいのかどうか迷うのでとりあえずTさんとだけ。Tさん、教えてくださっただけでなく、貴重なものを、本当にありがとうございます。) 
川原さんはほかの作品でも、増尾さんの名を出したり、あるいは登場人物の名にミュージシャンの名の一部をあてたりしていたのですね。知らなかった。ちなみに私は、一時期少女まんがをけっこう読んでいて、川原さんの作品もいくつか読んだことがあり、わりと好きだったと記憶しています。ただし、増尾さんの名が作品に登場する頃は、リアルタイムでは読んでいなかったんだと思いますね。
(→ (9)へ続く web拍手 by FC2

出逢った頃(7) はじめてのNYでのコンタクト

※回想シリーズ「出逢った頃」 (1)(6) の続きです。

いま振り返ると、あのとき よくぞ思い切ってダイヤルできたものだと思います。
ただ、電話の目的は はっきりしていました。

短いニューヨーク滞在期間中に、増尾さんの生演奏を聴ける機会があるかどうか。あればいつどこでなのか教えてもらいたい、それだけです。

前夜 買った雑誌のジャズクラブ出演者情報ページに載っていなかったけれど、ニューヨークのどこかで演奏されることがあるかもしれない。もしもあるなら、せっかくなけなしのお金をはたいて、いやはたくだけのお金もなく工面してこの地まで来て、逃すわけにはいきません。

もしも増尾さんのマネージメントをしている音楽事務所とかがあって、それを知っていたならば、もちろんそっちに尋ねたでしょう。でもわからなかったので。わかる番号に架けてみるしかない。

数回の呼び出し音のあと、

電話の向こう: カチャッ “Hello

私: “Hello, Is this ... (Masuoサン ノ オタク デスカ)?”(英語で)

向こう: “Yes (男性の声)

私: 「あの~(日本語)

向こう: 「はいはい(日本語)


おっと、いきなりご本人だっ!

何をどう話すか、準備してありませんでした。
しかし、ここであわてて しどろもどろ になってたまるか。必死です。

えと、まず、自分が何者であるかを伝えなければならない。
増尾さんの演奏をニューヨークで聴くのがずっと夢で、日本から今はじめてニューヨークに来ている者だということ。前の晩に到着してすぐに雑誌でライブ情報をチェックしたものの、増尾さんの名は見あたらなかったということ。ニューヨークに4日間ほどしか滞在できないことを伝え、そして、どこかで演奏される予定はないでしょうか? と尋ねました。

なるべく手短に、自分の想いと用件を伝えようと 頭の中は猛烈にいそがしかった気がしました。

それで、今のところ予定はないけれど、やることになったら電話してあげる (わぉっ!)、ということになり、どのホテルに泊まっているか訊ねてくれたのです。
ホテルの電話番号のメモはそのとき たしか持っていなかったと思う。でもホテルの名前が「シェラトン・センター」であること、部屋番号(3711号だったかな?)と、それに何番街に位置するホテルか、ということは幸い言うことができました。そしてもちろん自分の名前も。( --ここでチラッと、自分の名前をひょっとして覚えてくれてるかな?っとも思ったけど、聞くのも変だし、実際そんな余計なことを言う余裕はありませんでした。)

会話はそれで終了。

それからまた団体行動に戻りました。国連ビルを出たところに集合し、半日市内バス観光を続行。
一行はカフェテリアで昼食をとって、お昼下がりに解散しました。あとは、4日間自由行動です。

4日間を、もちろんフルに楽しみました。慣れていないので効率的に行動できたわけではないけれど、どこを歩いても何をしていても楽しいわけです。ずっと憧れだったニューヨークに やっと 来られたことが嬉しくて、それに、ニューヨークの雰囲気が気に入ったし。嬉しくて、四六時中 ニコニコ しどおし。、頬の筋肉が上がりっぱなしで固まってしまい、逆に普通の表情にしようとすると顔がひきつるように感じるほどでした。

4日目午後は雨で、グリニッジ・ヴィレッジ界隈を、傘をさして歩いていました。ワシントン・スクエアとか。あのあたりの雰囲気は好きですね。でも、もう翌日の午前にはホテルをチェックアウトしてニューヨークを発たなければなりません。増尾さんからの電話はありませんでした。
確率からしたらそうだよな~、こんな短い滞在で、そう うまくはいかない。たとえば増尾さんが演奏旅行中でニューヨークにいないっていう可能性さえあったわけだから、電話で話せて、まともに応対してもらえただけでも超ラッキーだしありがたいしことだった。と 思うことにしなくちゃ。 それでも最後の日は、さすがにちょっと未練がありましたね。

いったんホテルに戻りました。夕食は、もう覚えてないけどデリカテッセンの類の店で買ってきて部屋で食べたんだと思います。そのあとは、ヴィレッジバンガードにでも行って最後の夜を過ごそうと計画していました。


そのとき、

リリリリン...  電話が鳴りました。

え?

増尾さんでした。 (@ @)

へ 、部屋にいて よかった~~~

結局、どこかに出演されるということは ないとのことでした。
が、もしも許されるなら、ちょっとだけでもお会いしたい、という気持ちを口に出しました(図々しくてすみません)。そしたら、私が増尾さんの場所まで行くのは夜で「危ないから…」 と言われ、増尾さんがホテルの前までわざわざ来てくださることになったのです。ちなみに増尾さんはそのとき 38丁目あたり?7番街と8番街の間にあるミュージックビルでした。そのあたりは夜 ひと気がないそうです。


受話器をおろしてから飛び跳ねていました。(いちおう相部屋の人は外出していて、部屋に私ひとりでした。)

しばらくしてからもう一度、ホテルの内線からコールをいただき、37階からエレベータで1階へ降りました。

エレベータホールからロビーへ向かおうとして、すぐにわかりました。

そこに、ほんとに世界のマスオさんが立っていました。

( → (8) へ続きます ) web拍手 by FC2
プロフィール

Kaco

Author:Kaco
一番好きなミュージシャンの公式ファンサイト を趣味で編集・管理しています。東京在住。音楽と無関係の仕事と雑事にいつも追われています。猫大好きですが、飼ってはいません。上のネコちゃん写真は米国PA州にあるM邸で撮影(→詳細はこの記事)。私へのメールは、当ブログのメール送信フォーム、または上記サイトの送信フォームから。

最近の記事
最近のコメント
カテゴリー
月別アーカイブ
最近のトラックバック
リンク
ブログ内検索
RSSフィード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。