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出逢った頃(10) New Yorkライブ追っかけ計画-再NY旅行へ向けて

※回想「出逢った頃」シリーズ。続きです。

武道館の楽屋で増尾夫妻とお話できたのが1982年4月。
その年の7月に夏のボーナスが出た頃には私の貯金もだいぶたまったので、いよいよ秋に再びニューヨークへ行こうと計画しはじめました。

2回目になるニューヨーク旅行では今度こそ、日取りを増尾さんのライブに合わせなければ、私にとって高い旅費を払う意味がありません。何月何日にニューヨークのどこで増尾さんの生演奏が聴ける、という情報を事前に日本で得る必要がありました。しかも、そのライブの直前ではなく数週間以上前に知ることができなければ、格安航空券を入手したり仕事の休みを工面したりできません。

インターネットのホームページとかEメールがなかった当時、ライブの予定を増尾さん宅に電話で聞いていいと武道館楽屋で奥様シャーリーさんからうかがったので、図々しいけれどお言葉に甘えることにしました。といっても、いきなり国際電話してうまく話せる自信がありません(初のニューヨーク旅行で電話したときは勢いで掛けることができたけど… )。電話する前に、まずは手紙で事情を書くことにしました。秋に増尾さんのライブ演奏を聴きにニューヨークへ行きたいので、スケジュールをうかがいたく、お電話させていただきますのでよろしくお願いします、といった内容。実際にはもう少し丁寧に、自分の気持ちなどもしたためたと思います。その手紙を投函した後、届くのに十二分と思われる日数をあけてから、思い切って電話を掛けました。8月半ばのことでした。

電話の向こうの増尾さんは、私からの手紙をすでにご覧になっていたようで、「あー 」とすぐにわかってくれて、用件を伝えるのは楽でした。「今はね~、ニューヨークでやる予定ないの」 「9月にやるかもわかんないから電話してあげる。」 ひぇ~、それは申し訳ない。国際通話料金を増尾さんに負担させることになってしまう。電話を受ける側の私が通話料を負担するコレクト・コールにしてもらえばいいかな?という考えが頭をよぎったけど、節約暮らしの私は、コレクト・コールのほうが高つくことを意識してしまいました。しかも増尾さんと話している最中なので、"いえ、コレクトで…" などと逆提案する余裕もなく、そのまま通話を終えてしまいました。ま、後日に清算またはお礼という手もあるか ... 
(※参考:当時の国際自動ダイヤル通話料金をネットで調べてみました。日→米 1980年:2430円/3分、 1982年:1830円/3分 http://www.caa.go.jp/seikatsu/koukyou/com/co02.html )

それから2週間ほどして増尾さんから電話をいただきました。9月に演るかもしれなかったのが結局なくなったとのこと。そして、また新たに決まったら郵便で教えてくださる、ということになりました。

いやはや、1回電話で話すたびにドキドキものでキンチョーするので、一大イベントです。ちなみに、ずっと後になって知ったことですが、このやりとりをしていた時期(1982年8月)、増尾さんはテナーサックスのソニー・ロリンズのバンドに再び入って仕事をされていたのです。8月7日にカナダのモントリオールで収録されたコンサートの映像が後にビデオテープやレーザーディスクやDVDで発売されて、私もDVDを持っています。

それから郵便での連絡を待ちました。これがまた私には問題だったのです。その頃住んでいた安アパートは、戸別の郵便受けがなく、大家さん気付けで受け取るしかありませんでした。まず1階に住む大家さんのところに届いて、大家のおばさんがそれを2階の各部屋まで持ってきてくれます。部屋を留守にしているとドアの隙間に挟んでくれたり、下に落ちていたりします。そして、大家さんは、ときどき郵便物を数日間溜め込むきらいがありました。そりゃ大家さんだって、ときには旅行もするでしょうしね。おかげで、コンサートの割引招待券を、コンサート当日を過ぎてから受け取った、なんてこともありました(ダイレクトメールなので、大家さんは大事じゃないと思ったのかも)。

こんな調子で、もしも増尾さんからの郵便が大家さんのところで滞留したり紛失なんてしたら困る。それだけは絶対に食い止めなくては… というわけで大家さんに、アメリカから何か郵便来てませんか? 近いうちに大切な手紙がくるかもしれないのでよろしく、とお願いしておきました。

しかし、なかなか便りは来ません。1カ月ほど経ってだんだん心配になってきました。どうしよう。もしも、ライブの直前に知らせが届いたら、航空便と休暇の手配がうまくいかないかもしれない。ここまで図々しく増尾さんに尋ねておいて、「連絡いただいたのにニューヨークに行けない」なんてことになったら、と考えると真っ青です。いやいや、そんなこと心配してもしょうがない。とにかく待つしかない。

10月に入ってもただただ日が過ぎていきます。毎日アパートへ帰るたびに、今日は来てないかな?と気にするようになりました。最悪の場合、何かの事情で航空便が届かないなどの可能性だってあります。それに、ライブの日があまりに後ろにずれこむと、旅行のための仕事休みを取りにくくなる可能性があったのです。不安に押しつぶされそうな気分に、何度かなりました。

でも、もしも問題が発生して行けなかったら、そのときはそのときじゃないか。自分にできるだけのことをして、それでもダメなら誠意を込めて事情を話せば増尾さんはおそらく気を悪くするような人じゃない。もう運を天にまかせるようなつもりで、何とか心を保っていました。

10月も終わりの頃、大家さんが「来たわよ!」と戸口まで持ってきてくれました。
海外からのカードです! 見たことのある文字。
でも、よく見ると ニューヨークからではありません。




なんと、
スペインにいる増尾さんから!!!!!


増尾さんは10月13日からロリンズのバンドでヨーロッパツアー中で、スペインのマドリッドから絵ハガキを投函してくれたのでした。明るくフレンドリーなメッセージがあって、最後のほうに「11月30日と12月1日 7th Ave South でやる事になっています。11月20日前後にSonny RollinsのバンドでBottom Lineでもやる事になっています。」 

なんて心にくい 演出 ! ......感激です

私の住所を旅先まで持っていってくださったのですね。

行ける! ニューヨークに行ける!

準備期間が1カ月ある。格安航空券を購入するのに十分な日数があるし、旅行する時期は仕事休みをとれるギリギリの範囲内。やった!!!!!


できることなら11月20日前後のボトムラインでのロリンズと、11月30日&12月1日の7th Ave South の両方をカバーできるように滞在期間をとりたかったものの、仕事を休める日数に限りがあり、両方は無理。しかも、ボトムラインのほうはぴったり20日かどうかわからないので断念し、7th Ave South のみに照準を合わせることにしました。11月29日出発して9泊11日間の旅です。 いざ、2回目のニューヨークへ!

出逢った頃(9) 武道館でのラッキー

※出逢った頃(1)(8)の続きです。
興奮の初ニューヨーク7日間から日本の成田に戻ったのは1980年11月26日。無事に帰ると、まず、スーツケースをゴロゴロしながら銀行のATMへ立ち寄りました。私のニューヨーク旅行中に給料日(25日)があったので、振り込まれた給料をごっそり引き出すためです。そして、その足で消費者金融業者に10万円を返しにいきました。出発前日に借りたお金を、規定の最短期間である10日以内に無事に返すことができたので、利子は最低限で済んでひと安心。窓口でお金を渡すときに、自分がニューヨーク旅行帰りで成田から来たばかりであることを話すと、店員さんはカンターごしに私のスーツケースを見て、ちょっと珍しいタイプの客を見るかのように「へぇ~~」という反応をしていました。

旅先で使い切らずに持ち帰った残金で、安アパートの家賃も払えたし、それからほんのしばらくでタイミングよく冬のボーナスが降りて、うまく食いつなげたわけです。あと、ツアー参加費のローンも残っていました。ツアー申し込み時に支払った頭金を除いて、残額18万円を月賦払い。これは順調に支払って、6カ月で無事完済しました。

それからは次のニューヨーク旅行のための貯金です。もう一度行く気満々でした。安月給だし、思わぬ痛い臨時出費があったりもして、そう早くは貯まりませんでしたが…… 貯まったら、今度こそ、ニューヨークで増尾さんの演奏をナマで聴こう って心に決めていました。そのためには、事前に増尾さんの出演情報をキャッチしなければならない。具体的にどうすればいいという確信はなかったけど、何とかなるような気がしていました。

そうこうしているうちに、久しぶりの増尾さん来日です。1982年春。日本武道館で「テクニクス・ジャパン・ジャズ」と題して、増尾さんのバンドのほか、ハービー・ハンコックや日野皓正さんなどのバンドが出演するインベントがあったのです。東京ドームは当時まだありませんでしたから、武道館といえば屋根のあるコンサート会場としては最大と言ってよかったのではと思います。

増尾さんに渡す花束と小さいプレゼントを持って武道館に行きました。アリーナ席が取れたので、すんなり渡せると思っていたのですが…… なんと、ステージに寄れないようロープが張ってあったのです。客席最前列とステージの間に、車止めのチェーンのように太いロープが右端から左端まで渡してありました。ロープを越えることは物理的には簡単ですが、要するにステージへの歩み寄り禁止のサインなわけで……まぁジャズファンにはそんなもの必要ないんですけどね。ジャズファンは(少なくとも私の知っている当時のファンは)ステージに押し寄せないですよ。せいぜい最後にパラパラと歩み寄る程度でしょう。会場準備のスタッフは、ロック コンサートと混同したのでしょうか。聴衆がおとなしく かしこまりがちなジャズ、しかも特大ホールで、ただでさえステージと観客の一体感が得にくいのに、ロープの存在はいっそうそれを難しくしている感がありました。これはちょっと興ざめで、残念でしたね。

というわけで、花束などを渡せなかったのです。

終わって観客が思い思いに席を立つ頃、私のほかにも花束を持っている人がいました。増尾さんのご両親およびもうひとりの女性の3人連れが、花束を手にゆっくり移動中。これから楽屋へ行くような様子です。ちなみにその3人は、以前の『Good Morning』コンサートの会場でもお見かけしたので、私にとっては見覚えがありました。そこで思い切って、ご両親ではない若いほうの女性に話してみました。「これを増尾さんに渡していただけませんか」と。私の持って来た花束などを彼女に託そうとしたのです。そしたら、

女性:「いっしょに来ませんか?」
私 :「あ、はい。 ありがとうございます。」

な、何なんだ、この展開は?!!

どこをどう通ったかはもう全然覚えていないけれど、通路を何度も曲がったりエレベータに乗ったり。たどり着くまでドキドキものでした。出演者が多いので控え室がいくつかに分かれていたみたいで、たしか増尾さんバンドの控え室は日野さんバンドと一緒だったように覚えています。それにしても、まさか自分が武道館の楽屋に行かせてもらえるとは思いもよりませんでした。なにしろ私はそれまで、どのコンサートホールの楽屋にも入ったことはありませんでしたから。ましてや武道館なんて、とても入れてもらえそうにないし。第一、楽屋がどこにあるかもわからないので「出待ち」することもまるっきり考えずに出かけたのですから。

控え室へ入 っていくと、増尾さんが奥のほうから私に目をやるとすぐに気付いてくれて、「あー、久しぶり!」と笑顔で言ってくれました。1年半ぶりです。覚えててくれた! 

増尾さんに渡すものを渡し、ちゃっかりサインをもらいました。ほかにもサインをもらっている人たちが何人かいましたね。

それから奥様シャーリーさんともちょっと話しました。そのとき、できれば訊ねたいと思っていたことがあったのを思い出し、質問してみました。次に自分がニューヨーク旅行に行くときのために、増尾さんがニューヨークで演奏される予定を知りたいときには、どこに問い合わせたらいいのでしょう? と。
シャーリーさんはニッコリしながら 「うちに電話して」 ですって !!

あとあとになって考えてみると、その返答はもしかして、私がただのファンじゃなく関係者だと思われたからだったのかな?という気もします。そういえば私、自分が何者であるか(つまり、ただのファンだということ)を、シャーリーさんに告げていませんでした。楽屋に入れてもらえた時点で、普通のファン っぽく見えないじゃん!

でも、実際に一度ニューヨークで電話したことのある私。それに、どっちにしろ それしか方法がないかもしれないから、そうしてみるしかない、と覚悟を決めたわけです。

ところで、「(楽屋まで)いっしょに来ませんか?」と言ってくれた女性のことですが、増尾好秋さんの親戚だろう、ぐらいに思っていました。おそらく従姉妹あたりでは?と思っていたのです。というのは当時私は、増尾さんに弟さんがいることは知っていたものの、お姉さんが2人もいるなんて全く知らなくて、二人兄弟だと思い込んでいました。でも、実は四人兄弟姉妹だったのですね。今から思えば、あの女性はきっと好秋さんのお姉さんでしょう。そのお姉さんのおかげで楽屋に入ることができ、そのおかげでシャーリーさんに質問することができ…… とあとあとへつながったわけなのですが、お姉さんをその後1990年にもう一度だけお見かけしたものの、それっきり会えず、伝えたいことを伝えられずに終わってしまいました。
心残りです。

増尾さんの飼ってた猫タイホー君

7月16日、両国にある「下町食菜だいどころ」に行きました。日本ジャズ界の重鎮 鈴木良雄さん(ベース)と増尾好秋さん(ギター)の Duoライブがその店であったのです。
お二人は現在、3月10日と3月11日にDUOレコーディングした新作『Around The World』の発売記念で日本各地をツアー中。
「下町食菜だいどころ」では、『Around The World』発売前だった今年の4月9日にもこのお二人のDUOライブがあって、そのときも今回も満員御礼。ライブハウスではないのですが、お店のスタッフも客席も、音楽に熱心に耳を傾ける感じで、かといって堅苦しくなくリラックスしていて、とても雰囲気がよかったです。演奏がいいのはもちろんのことですよ。だから私が何度も聴きに行くのです。

店内はこんな感じ(4月のときの写真です)。大スクリーンにステージが映し出されるので、ステージが直接見えにくい座席の人にはありがたいですね。クリックすると大きくなります。

2011/4/9鈴木良雄&増尾好秋@下町食菜だいどころ


この写真とは違って、7月16日の「下町食菜だいどころ」では、増尾さんは白いTシャツ姿でした。

そのTシャツには、ギターを弾いてるネコちゃんの絵が!!

ライブが終わってから、増尾さんに、Tシャツの絵のことを言ったら、
「あぁこれ。 去年の Jirokichi のときから 」 っておっしゃったので、
そういえば、ジロキチでもこのシャツだったような ...とうっすらと思い出しました。

去年(2010年)の5月26日ジロキチでの「ホームジャム」セッションのときの写真です↓クリックで拡大。

20100526Live.jpg

Tシャツの絵の部分がギターのストラップに隠れて見えにくいのですが、同日撮った何枚もの写真の中から比較的わかりやすい写真を探してみましたよ。これです↓ これ以上は拡大できません。

20100526catTshirt.jpg


どことなくユーモラスでかわいい絵ですね。

それで、増尾さんが今飼っている猫ちゃん3匹のことを思い出して、元気ですか?って聞いてみました。
長老 猫さんについては、つい先日写真を送ってくださったので(増尾さんサイトの From Masuo ページの真ん中あたりの写真. ページ一番下の写真の猫ちゃんは違う)健在のようでしたが、2年ほど前に増尾さんが助けてあげて飼い始めた2匹たちも元気にしてるかな~ って思ったのです。

「みんな元気だよ」とのお答え。おお、よかったよかった。

「そういえば、昔、増尾さんの飼っていた タイホー君、雑誌に写真が載ったのを見ただけなんですけど、かわいかったですよね? 目が大きくクリクリして。」
って 問いかけたら、増尾さん、

「うん。 かわいかったぁ」 と。

もう、それはそれは かわいかった という感じが、そのひと言に、いっぱい こめられた言い方でした。
声だけでなく、身体全体からもそういう雰囲気が うわーっと出た感じがしました。
増尾さんの心は一気に昔のタイホー君との思い出に飛んでいったようです。

タイホー君、このこの、幸せもの~~~ っていう気分になりましたよ。

下の画像は、1979年、アルバム『サンシャインアベニュー』が発売される頃の雑誌の記事からです。ちなみに『サンシャインアベニュー』は最近CDで再発されていますよ~ (Amazon で見る)。当時 ニューヨークで猫を4匹飼っていらして、記事には この写真がタイホー君だと書いてないのですが、たぶん そうなんだと思います。クリックすると拡大しますよ~ ↓

Cat Taiho and Yoshiaki Masuo


こっちの写真も同じ記事から。たぶん タイホー君 だと思っています。

Masuo's cat Taiho

「すごくでっかくて重かった。16ポンドあったんだよ。普通の猫は10ポンドくらいなんだけどね。」

たまに セントラルパークに連れて行って散歩 したそうです。バスケットに入れてタクシーに乗せていくんだそうです。
セントラルパークでの散歩は、ほかの猫もやってみたけどだめだったそうで(どんな風にダメだったか までは聞きそびれた。不安がって嫌がったのかな? はぐれちゃいそうになったとかいうのではなさそうですね? )
タイホー君だけがセントラルパークでの増尾さんとの散歩を楽しめたようです。

それはそれは、かわいかったことでしょうね。(=^・^=)

今 ペンシルバニアの増尾邸で飼われている長老ネコちゃんも、YouTube の Life Is Good 動画 ではペンシルバニアの田舎道を増尾さんと一緒に散歩していますね。このブログの上のほうに飾ってある写真の猫ちゃんですよ。

増尾さんに飼われている猫ちゃんたち、いいな~ 

そういえば、私がペンシルバニアの増尾さんと音声通話連絡しているときに、バックで猫ちゃんの ニャァオ という声が聞こえたことがあります。長老猫ちゃんかな?低めの声です。外に出してくれ、と鳴いたのだそう。なごみました~ (=^・^=)

テーマ : 猫のいる生活
ジャンル : ペット

出逢った頃(8) ミュージシャン増尾さんの人間的魅力に接して

 ※回想 「出逢った頃」シリーズ (1)(7) の続きです。

増尾さんにしてみれば、どこの誰ともわからない人間からいきなり電話がかかってきたわけです。素性も何も知らない私に、わざわざ会ってくださって、本当に感謝感激!

「どこの誰ともわからない」といっても、私の名前だけなら、ひょっとしてぼんやりと覚えていただいてた かも しれません。ファンレターの返事をいただけたり六本木PIT INNで名前を聞かれたりしたことがあったので。でも、それから既に1年とか2年たっていました。それにまぁ、たとえ名前だけ覚えてくださっていたとしても、たいして差はないですね。

ホテルの部屋からエレベーターを降りたらすぐそこに憧れの増尾さんがいらっしゃるというのは、まさに夢のようでした!! 軽く挨拶しながらホテルの外へ出ました。雨が止んでいました。「(雨あがりで)気持ちいいから歩こうよ」 とフレンドリーに言ってくださって、夜の街を歩きはじめました。歩きながら、ご自身のその頃の心境などもいきなり語ってくださっていましたね。
ホテル前の通り Broadway を、51丁目目からダウンタウン方向へ。 すぐに48丁目にぶつかって、左手へ折れると楽器街です。48th Street の7番街と6番街にはさまれた区間は Sam Ash とか Rudys といった楽器店が並んでいるのです。その楽器街を、ちょっとだけ歩きました。というか、まぁ 足を踏み入れた程度でしたが。ホテルからたぶん 5 ~6 分歩いた程度だと思います。
それから、増尾さんは、私がその晩どこへ行く予定かを訊ねました。増尾さんの演奏が聴けないならばヴィレッジ・バンガードへ行くつもりだった、と答えると、タクシーをつかまえてくれ一緒に乗りました。7番街を、バンガードのあるダウンタウン方向へ。同じ方向に増尾さんのご自宅もあります。

わずかながらお話できて、大満足でした。増尾さんが音楽活動の拠点としてあえて選んで住んでいらっしゃる街 ニューヨークでお会いできて、しかもお話もさせていただけて。増尾さんの音楽からイメージしていたとおり、いや、それ以上に素敵なお人柄を感じました。

7番街をそのまままっすぐ走行すれば、すぐにヴィレッジ・バンガードの真ん前に着いてしまいます。 もう、タクシーを降りるまでの間しか時間が残されていない、と思った私は、タクシーの中で 思い切って バッグの中からマーカーペンなどを取り出し、サインをお願いしようとしました。 が 「それはあとで」 と言われ(??) 引っ込めました。そりゃ そうです。タクシーの座席では手元が揺れて書きにくいのに、失礼ですよね。それにすぐに降りなきゃならないから落ち着かないし。 まぁ 私としては、揺れた文字だろうが、信号待ちの間に1文字だけだろうが、とにかく いただけたらという気持ちではあったのですが。

増尾さんがタクシー ドライバーに “Here is fine.” と言って降りた地点は、ヴィレッジ・バンガードのそばではあったけれど真ん前ではありませんでした。なんとっカフェに入ってくれたのです!! テーブルをはさんで落ち着いてお話させていただき、サインもいただきました。私なんぞのためにお時間を割いていただいて、本当に感謝です。

なにより、増尾さんは、押し掛けた私に対して ファンサービス という感じではなく、いかにも対等な立場で知り合ったかのごとく 私をまともに相手にしてくださったのです。そのお人柄に接して、うまく言葉にできないのですが、心の深いところで感じるものがありました。この回想シリーズ「出会った頃」を ダラダラ と引っ張って回を重ねて書いていますが、こういったことこそが、書きたいポイントなのです!! 私がどんな仕事をしているかなども訊ねてくれて、本当に、一人の人間対人間として接してくれたのです。

カフェを出てから、なんとヴィレッジバンガードまで歩いて送ってくださって、舗道入り口から地下のヴィレッジバンガードへ降りる階段でお別れしました。

初ニューヨーク旅行の最後の晩がそれでしたから。帰りの飛行機では、それを思い出しては一人で顔をニマッとさせてしまい、近くの席のツアー団体参加者さんたちからナニナニ? --なんだ、ヤレヤレ と反応されてしまったものです。

このツアーの後で知ったことですが、映画会社の宣伝の「特賞はニューヨーク無料ご招待」という懸賞は、嘘ではありませんでした。私と相部屋だった人が、無料招待に当たって参加したのだそうです。彼女は、ほかのツアー参加者にねたまれることを懸念してか?ツアー中はそのことを黙っていましたが、後日私に教えてくれたのでした。教えてもらってよかったです。だって、自分が当選した「格安優待」の参加費だって、本当に映画会社さんが一部を負担してくれたのだろうと心から思えたから。もちろん、価格的に考えてもも当時のパッケージツアーの相場からして どう考えても安すぎたわけだから それほど疑っていませんでしたが。

ニューヨークで増尾さんに会ってもらえた感激と感動は、日本に帰ってきてからも じわじわと私の中で醗酵しました。(実は、もっと正確にいうなら、この後の出来事なども含めて、2~3年かけて、ということになります。)

増尾さんほど世界的にも認められて活躍している人、しかも私にとって雲の上の憧れの人が、 ずっと年下で社会的にもとりえのない私に、心を開いて一人の人間として接してくれたわけです。こんなずうずうしいファンが たくさんいたら増尾さんの足を引っ張りまくりですよね(懺悔)。 もともと、増尾さんのご経歴を読んだときから 人間としてスケールの大きい お方だというイメージが私にはあったわけですが、直接お会いして、その大きさを実感しました。威圧的な感じとは違って ふわーっ と爽やかなんだけど、なんだか大きいんです(彼の音楽と同じ!)。同時に、「上から目線」でなく同じ目の高さで話させていただいただけにかえって、自分が人間として増尾さんに全然つりあっていないという当たり前の現実を、いやでも意識させられた気がしたわけです。社会的な成功とか知名度とかは別にして、せめて心の大きさくらいは、増尾さんに少しでも近づきたい、という気持ちにさせられたのでした。…… そのわりには現在の私、目指すところに届かず いまだに もがきながら低空飛行していますけど。それでも私の人生に大きなプラスをいただいたことは間違いありません。

私と同じように、ファンとしてニューヨークで増尾さんにお会いして、似たようなことを感じた方が、ほかにも少なくとも1人いらっしゃいます。週刊少女コミック、別冊少女コミックなどに連載されていた漫画家 川原由美子さんです(彼女は私のような一般人ではなく漫画家として名の通った方なので、ちょっと立場が違いますけど)。

川原由美子さんの、小学館 フラワーコミックス『すくらんぶるゲーム (4) 』(1983年2月初刷り) の中に、4ページ分の「ニューヨーク旅行記」というのがあります(コミックス用に書き下ろされたもののように見えますが、その点は不明)。「昨年の5月」に行ってきたというニューヨーク旅行について4ページ描かれているのですが、そのうちの ほぼ 1ページが、増尾さんにお会いしたことについて割かれています。





( 写真には2冊写っていますが、
実は『すくらんぶるゲーム』だけじゃなく
もう1冊のほうでも作品中に増尾さんの
名が1度出てくるのです。)
コミックス1表紙 コミックス2背
現在、中古でしか入手できないようですので、著作権の問題もあるかと思いますが、あまり大きすぎない(と私が思う)程度に、ここで紹介させてください。 1ページ足らずの紙面に雰囲気たっぷりに巧みに描いてまとめていらっしゃいます。









コミックス3ニューヨーク旅行記p1
コミックス4ニューヨーク旅行記p4 ← このページです。
 ご興味あるかたは
 画像をクリック
 してください。


このページの内容は:

なんとあの 増尾好秋 さんにお会いしてきたのだ 」ではじまって

… このたんなる 一ファンのずうずうしくもあつかましいお願いに 増尾さんは快く応じてくださり …

… お忙しい中 時間を割いて下さった増尾さんは 初対面の年下の女の子に対しても本当に真剣に相手をしてくださったのです…

… 「魅力的な人」って言うのはこういう人のことを言うんだろうなー ってつくづく …

… 増尾さんの作る音楽があんなにも やさしくてすてきなのは やっぱりご本人の姿勢と人柄だと思うのです …

… 増尾さんという「人間」に触発されてしまいました。…

… 袖すりあうも他生の縁ならばご縁があったのなら せめて恥ずかしくないくらいの自分を持ちたいって そう思ったのでした …

などと書かれていました。

ものすごく共感を覚えてしまいます。

実は、このニューヨーク旅行記について私が知ったのは、うんと後になってからで、2007年1月だったかな~ ? ライブ友Tさんから教えていただいたのです。(ネームをここで書いていいのかどうか迷うのでとりあえずTさんとだけ。Tさん、教えてくださっただけでなく、貴重なものを、本当にありがとうございます。) 
川原さんはほかの作品でも、増尾さんの名を出したり、あるいは登場人物の名にミュージシャンの名の一部をあてたりしていたのですね。知らなかった。ちなみに私は、一時期少女まんがをけっこう読んでいて、川原さんの作品もいくつか読んだことがあり、わりと好きだったと記憶しています。ただし、増尾さんの名が作品に登場する頃は、リアルタイムでは読んでいなかったんだと思いますね。
(→ (9)へ続く

ギタリストToshi Maruhashi君と増尾さん

丸橋君について、このブログで少し前に一度書きました。
● 「ギタリストToshi Maruhashi君

その彼が、自身のブログに増尾さんとの写真入りで書いてますよ~ これです↓
http://blog.livedoor.jp/toshimaruhashi/archives/3702041.html

彼は、今、ますます燃えているみたいです。
静かに心の中で熱く燃えてる、といった感じでしょうか?

ニューオールリンズでレコード-ディングされた
ファーストアルバム『Diary』Toshi Maruhashi 、あなたも聴いてみてください。
彼の MySpace でちょっとだけ試聴できます。

出逢った頃(7) はじめてのNYでのコンタクト

※回想シリーズ「出逢った頃」 (1)(6) の続きです。


いま振り返ると、あのとき よくぞ思い切ってダイヤルできたものだと思います。
ただ、電話の目的は はっきりしていました。

短いニューヨーク滞在期間中に、増尾さんの生演奏を聴ける機会があるかどうか。あればいつどこでなのか教えてもらいたい、それだけです。

前夜 買った雑誌のジャズクラブ出演者情報ページに載っていなくても、ニューヨークのどこかで演奏されることがあるかもしれない。もしもあるなら、せっかくなけなしのお金をはたいて、いやはたくだけのお金もなく工面してこの地まで来て、逃すわけにはいきません。

もしも増尾さんのマネージメントをしている音楽事務所とかがあって、それを知っていたならば、もちろんそっちに尋ねたでしょう。でもわからなかったので。わかる番号に架けてみるしかない。

数回の呼び出し音のあと、

電話の向こう: カチャッ “Hello

私: “Hello, Is this ... (Masuoサン ノ オタク デスカ)?”(英語で)

向こう: “Yes (男性の声)

私: 「あの~(日本語)

向こう: 「はいはい(日本語)


おっと、いきなりご本人だっ!

何をどう話すか、準備してありませんでした。
しかし、ここであわてて しどろもどろ になってたまるか。必死です。

えと、まず、自分が何者であるかを伝えなければならない。
増尾さんの演奏をニューヨークで聴くのがずっと夢で、日本から今はじめてニューヨークに来ている者だということ。前の晩に到着してすぐに雑誌でライブ情報をチェックしたものの、増尾さんの名は見あたらなかったということ。そして、ニューヨークに4日間ほどしか滞在できないけれど、どこかで演奏される予定はないでしょうか? と尋ねました。

なるべく手短に、自分の想いと用件を伝えようと 頭の中は猛烈にいそがしかった気がしました。

それで、今のところ予定はないけれど、やることになったら電話してあげる (わぉっ!)、ということになり、どのホテルに泊まっているか訊ねてくれたのです。
ホテルの電話番号のメモはそのときたしか持っていなかったと思う。でもホテルの名前が「シェラトン・センター」であること、部屋番号(3711号?)と、それに何番街あたりのホテルか、ということは幸い言うことができました。そしてもちろん自分の名前も。( --ここでチラッと、自分の名前をひょっとして覚えてくれてるかな?っとも思ったけど、聞くのも変だし、実際そんな余計なことを言う余裕はありませんでした。)

会話はそれで終了。

それからまた団体行動に戻りました。国連ビルを出たところに集合し、半日市内バス観光を続行。
一行はカフェテリアで昼食をとって、お昼下がりに解散しました。あとは、4日間自由行動です。

4日間を、もちろんフルに楽しみました。慣れていないので効率的に行動できたわけではないけれど、どこを歩いても何をしていても楽しいわけです。ずっと憧れだったニューヨークに やっと 来られたことが嬉しくて、それに、ニューヨークの雰囲気が気に入ったし。嬉しくて、四六時中 ニコニコ しどおし。、頬の筋肉が上がりっぱなしで固まってしまい、逆に普通の表情にしようとすると顔がひきつるように感じるほどでした。

4日目午後は雨で、グリニッジ・ヴィレッジ界隈を、傘をさして歩いていました。ワシントン・スクエアとか。あのあたりの雰囲気は好きですね。でも、もう翌日の午前にはホテルをチェックアウトしてニューヨークを発たなければなりません。増尾さんからの電話はありませんでした。
確率からしたらそうだよな~、こんな短い滞在で、そう うまくはいかない。たとえば増尾さんが演奏旅行中でニューヨークにいないっていう可能性さえあったわけだから、電話で話せて、まともに応対してもらえただけでも超ラッキーだしありがたいしことだった。と 思うことにしなくちゃ。 それでも最後の日は、さすがにちょっと未練がありましたね。

いったんホテルに戻りました。夕食は、もう覚えてないけどデリカテッセンの類の店で買ってきて部屋で食べたんだと思います。そのあとは、ヴィレッジバンガードにでも行って最後の夜を過ごそうと計画していました。


そのとき、

リリリリン...  電話が鳴りました。

え?

増尾さんでした。 (@ @)

へ 、部屋にいて よかった~~~

結局、どこかに出演されるということは ないとのことでした。
が、もしも許されるなら、ちょっとだけでもお会いしたい、という気持ちを口に出しました(図々しくてすみません)。そしたら、私が増尾さんの場所まで行くのは夜で「危ないから…」 と言われ、増尾さんがホテルの前までわざわざ来てくださることになったのです。ちなみに増尾さんはそのとき 38丁目あたり?7番街と8番街の間にあるミュージックビルでした。そのあたりは夜 ひと気がないそうです。


受話器をおろしてから飛び跳ねていました。(いちおう相部屋の人は外出していて、部屋に私ひとりでした。)

しばらくしてからもう一度、ホテルの内線からコールをいただき、37階からエレベータで1階へ降りました。

エレベータホールからロビーへ向かおうとして、すぐにわかりました。

そこに、ほんとに世界のマスオさんが立っていました。

( → (8) へ続きます )

出逢った頃(6)初のNYへ

※ 回想シリーズ、出逢った頃(1)出逢った頃(5)の続きです。

映画キャンペーンの懸賞に当たって( といっても特賞じゃなく、いってみれば2等賞みたいなものですが ) 破格の費用で参加することになったニューヨークツアー。期間は7日間で、時期は3通りの出発日から選択することができました。私はそのうち最終の11月20日出発を選びました。

さて、いくら破格の参加費用といえど、全然貯金がないのに、費用をどうするか?

申し込み金(ツアー参加代金の一部を頭金として)やパスポート取得代などは、手持ちの生活費のなかからなんとか捻出しましたが、残りのツアー参加費18万円ほどを全部ローンにしました。

ニューヨーク滞在中に使うお小遣いは、消費者金融に借りることにしました。最短期間である10日間だけ借りれば、利子が比較的安く抑えられるからです。
出発が11月20日で、給料日が25日でした。10万円を借りて持って行って、帰ってきたらすぐに銀行口座から給料をおろして全額返済すればいい。給料がほとんどなくなってしまうけど、12月に入ればちょうど冬のボーナスが入るので、なんとか食いつなげる。

当時の為替レートは1ドル280円くらいだったと思います。ドルが今の3倍に感じる頃、ニューヨークでは何を買っても何を利用しても高い! ...でも10万円全部使い切ったわけじゃなく、いくらか残して帰りましたよ、アパート家賃を11月末に支払うために。

そんなギリギリの予算だったので、海外旅行保険に入るかやめておくか、ものすごく迷った末、保険代をケチりました。本当は、お金に余裕のないとき ほど、万が一の場合にどうにもならなくなるわけだから保険に入っておくべきだったんですよね。結果としては、幸いにも何事もなく済んでほんとによかったですけれど、振り返るとやっぱり危ないことをしました。もうあんな綱渡りはしたくないです。

ニューヨーク行きを決めてから仕事のほうは忙しく、それに加えて慣れない旅行の手続きとか、新橋のレンタルスーツケース屋さんまでスーツケースを借りに行くなど、あわただしかったです。(ちなみに、当時支払ったスーツケースレンタル料金と同金額で、今なら最低価格の新品が買えます。) 出発前日は、夜遅くまで残業して、アパートに帰ってから旅行の荷造りを深夜の3時頃までやっていました。それでちょっと無理がたたってか、風邪を引いてしまいましたが、当日朝、ワクワクしながらアパートを出ました。


成田空港の集合場所に着くと、「どうやらこのパッケージツアーは本当にサギなんかじゃないぞ、ちゃんと行けそうだな~ 」という実感がようやく(笑)してきました。しかも、近畿日本ツーリストの人が添乗してくれるのは安心です。一緒に行く参加者らは、若い人が多かったです。

離陸。

それが私にとってはじめての飛行機体験でした。本州の外に出るのさえ初めて。
飛行機ももちろん初めて。飛行機に乗ったというだけでもドキドキしていました。

大韓航空の便でした。ソウル乗り換えでニューヨークへ行くことになっていたのです。それがおそらく当時の格安ルートだったのでしょう。

しかも、ソウルの金浦空港でちょうど直前に火災事故があったため、金浦空港をしばらく利用できないとのことで、いったん釜山(プサン)の空港へ。それからようやくソウル。

金浦空港の建物内はタバコの煙が濃く、廊下のずっと先を見渡すと紫色に煙っているほど。風邪を引いていた私は喉が痛く、悪化しないかと心配でした。金浦空港を発ってから、今度は給油のためアラスカに着陸。それからようやくニューヨークのケネディ空港に到着!

ニューヨークはすっかり夜で、ツアー 一行はバスでホテルへ直行し、チェックイン。
十分立派なホテルでした。立派すぎる!! しかも、51丁目と52丁目とブロードウェイという好立地!
気がついたら、風邪が治っていました。憧れのニューヨークにやっと来られたというワクワク感が風邪を吹き飛ばしたのでしょうか?
同じツアー参加者のお1人と相部屋でした。が、まったく問題なし。

ホテルの売店で真っ先に『New Yorker』誌を買いました。これに有名ジャズクラブのライブ情報が掲載されていることを、以前に東京の書店の洋書コーナーで見たことがありました。以前の号では増尾さんの名が載っていたのですが、ホテルで買った号には増尾さんの名は見当たりませんでした。『ヴィレッジ・ヴォイス』誌になら、もう少し詳しく出ているだろうか、と思ったけど、見当たらなくて入手できませんでした。

夜が明けて、ニューヨーク滞在初日の午前中は、バスによる市内観光。この半日間のマンハッタンバスツアーの後は、4日間ずっと自由行動ということになっていました。海外がはじめてで、だけど自分でも自由に街を探索してみたい私には、ちょうどいいプランだったと思います。

その半日バスツアーで、国連のビルにも入りました。国連のビル内を見学中に、ちょうど公衆電話が数台並んでいるコーナーを見かけました。黄色い電話帳が置いてありました。電話帳を開いて、増尾さんの電話番号を見つけました。バスへの集合に間に合うように、とちょっとあせりながら、受話器をとってその場で電話をかけてみました ...

( 次回 へ 続きます)

出逢った頃(5) NYに憧れて

※回想 シリーズ 出会った頃 (4) の続きです。

1980年2月の六本木PIT INNで増尾さんに「また書いてよ」なんて声をかけていただき大喜びしたものの、そのあとすぐにはファンレターを書かなかったように思います。
そりゃぁやっぱり、出すからには、ちゃんと内容のあるファンレターにしたいから ...たとえばニューアルバムが出たときにその感想を書くなどいった、何かきっかけがないとね。

ところで、増尾さんのレターの宛先住所を知ってから、その位置を地図で確認しようとしたとき、わたしは生まれて初めてマンハッタンの詳細な街路地図を見たのでした。

なにしろ「マンハッタン」という名が何を意味するのかさえも、ジャズを聴き始めてようやく知ったところだったんですから。つまり、米国ニューヨーク州の隅っこにニューヨーク市があって、そのニューヨーク市を5つに分けた行政区(ボロウ、またはバロウ)の1つがマンハッタン区だということを、です。

それまでは、ニューヨークといえばアメリカ地図に赤丸印でその位置が示されている、その程度の地理情報しか把握していませんでした。ジャズのメッカとしてのニューヨークに興味を持ってから、ようやくマンハッタンのマップも目にするようになっていったというわけです(今じゃ、インターネットで世界中のどこの町の地図も簡単に詳しく見ることができてしまって、すごく便利だけど味気ないですね)。

そんなふうに、ニューヨークのことをそれまで知らずにいたけれど、実は、ニューヨークに限らず、海外には小さい頃から漠然と憧れていたほうでした。特にアメリカなどには 行ってみたい という気持ちがありました。でも、私にとって海外は、小さい頃からほんとうに遠いところで、育った環境からすると、とてもとても行けそうにはなかったので、すっかり諦めてそれまで生きてきたわけです。

ただ、あの頃、日本の経済成長のおかげで海外旅行する日本人が徐々に増えつつあったし、家庭の事情も少し変わって、いつか自分に経済力がついたらひょっとして行けるのでは? なんて思える程度の状況にはなっていました。

それでですね。いったんニューヨークに興味を持ってからは、とにかく行きたくて行きたくてたまらないわけです。増尾さんがときどき出演されているという ミケルズ というお店(当時、人気グループStuffが出演していることでも有名だった)などに入ってみたいし、ジャズの老舗クラブ ヴィレッジ・バンガードやスウィート・ベイジルやボトム・ラインなどの老舗クラブにも入ってみたい。それに、もしも行くならミュージカルも観てみたい、画廊ものぞいてみたい、地下鉄にも乗ってみたい、街路を闊歩してみたい、セントラルパークやワシントンスクエアにも行ってみたい ...... 雑誌のニューヨーク紹介記事を目にしたりすると、ニューヨークへの憧れがいっそう募っていきました。四畳半ひと間の1人住まいのアパートで、ニューヨークの地図を毎日のように眺めていました。

1980年夏。はじめて手にしたささやかなボーナス5万円くらいのうち大半を、はじめての英会話教室に使いました。週に1回だったか2回だったか?朝の出勤前の時間帯のクラスに2カ月ほど通いました。それまで英語を実際に話したことが一度もなくて、東京の電車の中で見知らぬ外国人とちょっとしたやりとりがあったときに、中学1年で習う程度の英語表現さえも口から出てこず歯がゆい思いをしたことがあったから、少しは慣れておきたかったのです。

その夏の終わりに、新聞広告でニューヨーク旅行に無料招待という懸賞を目にしました。あるアメリカ映画の宣伝キャンペーンの一環です。ブロードウェイを舞台にした「オール・ザット・ジャズ」という映画だったように記憶しています。懸賞では、ちょっとした簡単なクイズが出されていて、ハガキに正解を書いて応募すると、抽選で2名がニューヨーク旅行に無料招待、数十名がニューヨーク旅行へ特別価格で優待、となっていました。無料招待に当たらなくても、ひょっとしたら優待旅行くらいは当たるかも? と思ったんです。当時、海外旅行会社最大手の売り出しているニューヨーク1週間パッケージツアーが39万8千円ほどでした。ところがその抽選に当たれば、19万8千円で行けるのです!といっても、貯金はほとんど持っていない。まあとにかく、応募してみました。どうしても当てたくて、ハガキを 何枚も 何枚も 書いて出しました。




そしたら当たったんです。

無料のほうじゃなく、格安優待のほう。
しかも複数当ったんです。優待ツアー参加の権利が当たったわけで、改めて申し込み要項が書いてありました。

ハハーン。無料招待でなく格安有料ツアーのほうは辞退する人もいることを予想して、多めに当選させたわけね?

いやまてよ、まさか、無料招待の当選者が実際にはひとりもおらず、単なる旅行会社の客集めなのだろうか?

とさえ、勘ぐりましたよ。

それでも、そんなに安く行けるパッケージツアーなんてほかに見当たらなかったし、個人で航空券や宿を手配するともっともっと高くつくのを知っていました。それに、当たったその優待旅行を扱う旅行業者は名の通った近畿日本ツーリストさんだというから信頼できそうだとも思いました。

当時ちょうど、無名の旅行会社提供の格安ツアーに参加して何かの手違いで帰国できなくなり現地に残された旅行者のニュースを新聞で読んだばかりで、不安がありました。

でも、行きたいわけですよ。

貯金は全然なかったのに、申し込みました。
仕事の休みをとらせてもらえそうか、職場の上司にいちおう打診してからです。

( → 出会った頃(6) へ続きます。)

ギタリストToshi Maruhashi君の初アルバム

( まだ若いといえ、「君」付けで呼ぶのはふさわしくないかもしれないのですが、ここではそうさせていただきますね。)

2年半ほど前から増尾さんのライブを熱心に聴きに来るようになったギター少年が、ファーストアルバムをニューオールリンズでレコーディングをしてきてこのたび発売となりました。彼は今では関西で精力的にライブ演奏活動をしています。

私が彼を初めて見かけたのは2008年5月のとある日のこと。新宿区四谷にあるギターバーPocotanに、彼は来ていました。当時19歳になったばかり。ほんの数日前に大阪で増尾好秋さんのライブを初めて観た後、もっと増尾さんの演奏を聴くためにわざわざ大阪からひとりで東京まで来ていたのでした。そして、1枚の増尾さんのLPレコードにサインをもらっていました。彼は叔父さんのレコードコレクションをあれこれ聴かせてもらって、そのなかに増尾さんのアルバムがあって、増尾サウンドに惹かれたのだそうです。

翌日は鎌倉、翌々日は横浜、さらにその次の日は中目黒と、増尾さんライブに連チャンで通い詰めたのにはびっくり!!

話してみると、彼自身、ギターをやっているとのこと(後日ネットで見たら、すでにお客さんの前で演奏したこともあるようでした)。なので、連日通い詰めるのは増尾さんから何かを吸収しようとしてのことだろう、と想像はつきました。が、それにしても、若くして自活している彼が、大阪からの足代や宿代やライブハウス料金といった費用を捻出するのは大変なことだろうなと、その行動力と熱意に感心することしきりでした。

その後も増尾さんツアーを追っかて、彼は岡山へも。 す、すごい...

さらにその後、増尾さんがいったんアメリカへ戻って次に来日した折にも。
そしてさらに、その次の増尾さんの来日の時にも!!! 
関西、名古屋、東京へと、増尾さんのライブに同行。ほとんどスタッフのようになっていました。
私も増尾さんの追っかけですが、彼には及ばず。脱帽ものです。

丸橋君は、たとえば東京まで出てくるときには増尾さんのライブを聴くほかに、ジャムセッションに参加したりレッスンを受けたりと、遠くまで足を伸ばした機会をできるだけ有効に活用しているようでした。ライブハウスで数々のミュージシャンや音楽関係者と知り合っていました。

その後、関西でプロとしての演奏活動をどんどん充実させて、ミュージシャンとしての貫禄が出てきたように見えてきていた昨年秋...
なんと、、、ニューオールリンズでレコーディング!! 
という大胆な計画を決行しました!


丸橋君が増尾さんライブので知ったベーシスト Nori 奈良岡さん。その Nori さんを頼ってニューオールリンズへ行き、Nori さんプロデュースのもと、レコーディングしてきたのです。Nori さんは、以前にニューオールリンズからニューヨークに移り住んで増尾さんと知り合ったわけですが、今はまたニューオールリンズに戻って活躍されています。


1ヶ月以上にわたるニューオールリンズ滞在!!


もちろん旅の途中にニューヨークにも立ち寄って、増尾さんと会ったそうですよ。


そのアルバムですが、全曲 Toshi Maruhashi 君自身が書いたオリジナル!
爽やかで暖かさのある優しいアルバムだと思います。

詳しいことは、Toshi Maruhashi さんのページ(下の2つのリンク)をご覧ください。

ギタリスト・Toshi Maruhashi のファーストアルバム

Diary

~New Orleans録音~

ーノリ・ナラオカ プロデュース、伝説のギタリスト 山岸潤史 特別参加ー

2000円(税込)

☆Maruhashi Toshinori's MY Space☆
http://www.myspace.com/maruhashitoshinori


☆Toshi Maruhashi 『Diary』☆ (購入方法もここに)
http://blog.livedoor.jp/toshimaruhashi/
プロフィール

Kaco

Author:Kaco
一番好きなミュージシャンの公式ファンサイト を趣味で編集・管理しています。東京在住。音楽に無関係の仕事と家の雑事にいつも追われています。猫大好きですが、飼ってはいません。上の写真のネコちゃんは米国ペンシルバニア州田舎にあるM邸で撮影 (→ブログ最初の記事)。私への連絡はメール送信フォームからお願いします。

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